「藤原範季」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[保延]]5年([[1139年]])10歳の時に父・能兼が没し、兄・[[藤原範兼|範兼]]の養子になる。[[紀伝道|文章得業生]]から[[越後国#国司|越後大掾]]を経て、[[久寿]]元年([[1154年]])[[対策]]に及第し、翌久寿2年([[1155年]])[[大膳職|大膳亮]]に任じられる。[[保元]]2年([[1157年]])には[[六位蔵人]]に補せられて[[後白河天皇]]に仕え、翌保元2年([[1158年]])従五位下に[[叙爵]]された。
 
どのような伝を辿ったのか不明だが、[[平治]]元年([[1159年]])の[[平治の乱]]で没落した[[源義朝]]の六男・[[源範頼|範頼]]を引き取って自らの子・[[藤原範資|範資]]と一緒に養育している。[[長寛]]3年([[1165年]])4月に範兼が死没すると、残された子の[[藤原範子|範子]]・[[藤原兼子|兼子]]・[[藤原範光|範光]]らを引き取った(範光には実の娘である[[藤原季子|季子]]を嫁がせて婿にしている)。