「三条宗近」の版間の差分

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:[[脇差]]<ref name="hatajinja">「[http://www.furemachihata.jp/publics/index/15/ 八多町の伝統文化・名所旧跡]」八多ふれあいのまちづくり協議会ホームページ</ref>。[[兵庫県]][[神戸市]][[北区 (神戸市)|北区]][[八多神社]]所有<ref name="hatajinja"/>。社伝では、同社は宗近が崇拝していた神社であったとしており、宗近から「日本一」と号する日本刀が奉納されたと伝わる<ref name="hatasonshi">八多村編著『[{{NDLDC|1150370/}} 八多村史]』、1933年</ref>。また[[摂津名所図会]]では同地周辺に宗近の旧屋があったと記載されており、宗近と縁があるとされる神社である<ref name="hatasonshi"/>。現在、同社には、銘に宗近の名が切られた脇差、白鞘に宗近が奉納されたと書かれた脇差、宗近が奉納したとされる脇差が保管されている<ref name="hatajinja"/>。なお、いずれも真偽は定かではない。
;三条小鍛冶宗近作御太刀
:太刀。(一財)[[占出山]]保存会所有。[[祇園祭]]の[[山鉾]]の一つ、[[占出山]]の御神体、[[神功皇后]]が佩く太刀。太刀について、占出山町文書<ref>占出山町文書とは祇園祭の山鉾町の一つ,占出山町の文書で桃山時代~江戸時代のもの。中でも文化文政年間(1804~30)を中心とする町代改義一件についての文書が全体の2分の1を占める。京都市登録文化財。</ref>によると、[[天保]]五年([[1834年]])、京都の洛北大原郷内野村に[[嵯峨天皇]]の劔を打った真守の作と伝わる古刀を持っていた山内玄達という人物が鍛刀旧跡近くの飯道大権現に古刀を奉納すべく研磨を依頼したところ、三条宗近の銘がでてきた。そこで、宗近作と名高い長刀鉾にちなみ、占出山の神功皇后宮に山内法橋玄達が奉納すると書かれている。[[平成30年]]の祇園祭山鉾連合会の調査報告書によると、「太刀は、京都の古刀の特色を有しており、刀に漢字2文字の銘を認め、見ようによっては「宗近」とも読める。また、件の奉納経緯の譚の信憑性は高い。しかし、もっとも宗近の在銘の基準作はほとんど皆無に近く、これを宗近の真作と認めるのは容易でない。」とされ、この太刀が三条宗近作の太刀であるかは分かっていない。なお、宵山で展示されている太刀は、山鉾巡行用の複製品(国の[[重要有形民俗文化財]])で、実物は[[京都国立博物館]]に寄託されている。
:太刀。(一財)[[占出山]]保存会所有。[[祇園祭]]の[[山鉾]]の一つ、占出山の御神体、[[神功皇后]]が佩く太刀。太刀について、占出山町文書<ref>占出山町文書とは
祇園祭の山鉾町の一つ,占出山町の文書で桃山時代~江戸時代のもの。中でも文化文政年間(1804~30)を中心とする町代改義一件についての文書が全体の2分の1を占める。京都市登録文化財。</ref>によると、[[天保]]五年([[1834年]])、京都の洛北大原郷内野村に[[嵯峨天皇]]の劔を打った真守の作と伝わる古刀を持っていた山内玄達という人物が鍛刀旧跡近くの飯道大権現に古刀を奉納すべく研磨を依頼したところ、三条宗近の銘がでてきた。そこで、宗近作と名高い長刀鉾にちなみ、占出山の神功皇后宮に山内法橋玄達が奉納すると書かれている。[[平成30年]]の祇園祭山鉾連合会の調査報告書によると、「太刀は、京都の古刀の特色を有しており、刀に漢字2文字の銘を認め、見ようによっては「宗近」とも読める。また、件の奉納経緯の譚の信憑性は高い。しかし、もっとも宗近の在銘の基準作はほとんど皆無に近く、これを宗近の真作と認めるのは容易でない。」とされ、この太刀が三条宗近作の太刀であるかは分かっていない。なお、宵山で展示されている太刀は、山鉾巡行用の複製品(国の[[重要有形民俗文化財]])で、実物は[[京都国立博物館]]に寄託されている。
 
==出典・注釈==