「順位戦」の版間の差分

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そもそも特定の事象や出来事を記載するには出典・二次資料が必要ですが、長期放置されている特に酷い独自研究、大言壮語やエッセイ調をひとまず一部修正
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:一方、降級は既に決まっていた屋敷に加え、3勝7敗の行方、そして最終戦で三浦に敗れ4勝6敗で終わった渡辺明棋王(当時)となり8期連続で在席していたA級から陥落。渡辺は勝てば残留、負けても深浦が負ければ順位の差で残留という残留争いで最も有利な立場ではあったが自身が負け、深浦が勝ったために降級となった。例年より1局多く、降級枠も1枠多かったとはいえ4勝を挙げながら降級したのは第65期の深浦康市以来11期ぶり<ref group="注">他に残留争いをしていたのは行方・深浦・三浦がいたが、3人とも負ければ即降級だった。</ref>、現役タイトルホルダーの降級は郷田真隆王将(当時)以来2期ぶりとなった。
:以上のように、当期は星2つの差がプレーオフ進出と降級を分ける稀に見る混戦だった。
; あわや前名人降級危機順位差で助かる(第78期)
:第78期順位戦では最終局を残した時点で[[久保利明]]が2勝6敗で降級が決定し、3勝5敗の[[佐藤天彦]](1位)、[[糸谷哲郎]](4位)、[[木村一基]](10位)のうち1人が降級することとなった。これまで前名人の降級した前例はないが<ref group="注">前期挑戦者の降級は第14期に挑戦し第15期に降級した加藤一二三の例がある。</ref>、前名人の佐藤天彦は最終局で自身が敗れ、糸谷、木村の両者が勝つと降級することとなった。最終局の9回戦では佐藤天彦、糸谷、木村いずれも勝ち、3者を含む6名が4勝5敗となり、前名人の佐藤天彦は順位差で残留したが、4勝した棋士のなかで最も順位が低い木村が降級となった。4勝を挙げながら降級したのは第76期の渡辺明以来2期ぶりとなった<ref group="注">渡辺は4勝6敗で降級。4勝5敗での降級は第65期の深浦康市以来13期ぶりだった。</ref>。
 
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;C級1組からB級1組まで2人同時に連続昇級(第77期)
:第76期のC級1組では、[[永瀬拓矢]]と[[千田翔太]]がB級2組に昇級となった。千田が10戦全勝、永瀬拓矢・佐々木勇気・高崎一生の3人が9勝1敗の成績を収めたが、順位の差で永瀬が昇級することとなった。その後、第77期(2018年度)B級2組においては直接対決があったものの(結果は永瀬の勝ち)、永瀬が10戦全勝、千田も直接対決で敗れたのみで他は全勝の9勝1敗の成績を挙げたことで(他の22人は3敗以上)、'''2人同時の連続昇級'''という珍事が起きた。
;桜井門下、受難の一日(第78期)
:第78期(2019年度)B級2組の最終11回戦は、ここまで全勝の丸山忠久九段が最終戦を待たずにB級1組復帰を決め、残りの1枠を7勝2敗同士で[[桜井昇]]門下の[[横山泰明]]七段とB級2組初参加の[[近藤誠也]]六段が争うことに。順位が上の横山は勝つか近藤が敗れれば昇級、近藤は自身が勝って横山が負けたときにのみ昇級であり、横山の相手はここまで3勝6敗で負ければ降級点付加が確定する[[北浜健介]]八段、近藤の相手は横山の兄弟子である[[中田宏樹]]八段だった。一方、降級点争いも熾烈を極めており、では特に3勝6敗且つ降級点1点が付いた者同士の(やはり横山の兄弟子である)[[飯島栄治]]七段対[[田村康介]]七段戦は負ければ即降級の一番であった。
:この3局のうち最初に終局したのは飯島対田村戦で飯島が勝ち4勝6敗で他力ながら残留に望みを繋ぐ。続いて終局したのは近藤対中田戦で近藤が勝ちキャンセル待ち。そして最後に終局したのは横山対北浜戦で北浜の勝ち。この結果、近藤が逆転で昇級。横山は2年連続次点に泣くことになり北浜は4勝6敗ながら順位が上という事もあり降級点回避。そして飯島は4勝6敗ながらも順位が最下位という事もあり5枠の降級点の最後の付与者となりC級1組に降級した。4勝6敗ながら降級点が付いたのは第63期(2004年度)の[[桐山清澄]]以来15年振りの出来事だった。
:結果的に中田が勝てば弟弟子の横山の昇級をアシストでき、横山が勝てば飯島が助かったなかで昇級も降級回避も勝ち取れなかった桜井門下は受難の一日となってしまった。
 
=== C級1組 ===
;あわや3人同時全勝も井上慶太、1敗に泣く(第50期)
:第50期C級1組は[[村山聖]]と森内俊之が10戦全勝で昇級したがために、井上慶太が順位9位・9勝1敗ながらも昇級できなかった。因みにその1敗は昇級にも降級(降級点)にも関係なかった[[小野敦生]]戦 (10回戦・全25人のため抜け番あり)で、もしこれに勝っていれば、'''昇級枠を超える人数の全勝者'''<ref group="注">全勝者が昇級枠を超えて昇級する規定が明文化されたのは第77期から。</ref>という順位戦史上初の事態もおかしくる可能性もあった。そしてそれからちょうど20年後に井上の弟子である[[菅井竜也]]も第70期C級2組で似たようなを味わに遭ことになる。(後述)
;「将棋界の七不思議」屋敷伸之 14年間の足踏み(第49期~第62期)
:[[屋敷伸之]]は、順位戦初参加の第48期(1989年度)に9勝1敗・1位の成績を挙げ、‘1期抜け’でC級1組に昇級。そのかたわら、1989年度後期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で予選・本戦を連戦連勝し、中原誠棋聖への挑戦者となる。さらに、1990年度前期棋聖戦で中原に連続挑戦して棋聖位を奪取し、史上最年少タイトル保持者(18歳)となる。さらに半年後には棋聖位を防衛し、早くもタイトル通算2期となる。しかし、C級1組からB級2組への昇級には14期もかかることとなり、「[[将棋界#「将棋界の七不思議」|将棋界の七不思議]]」の一つと言われた。この間、8勝2敗が4回、次点(3位)も4回あり、また、3度目の棋聖獲得をも果たしている<ref group="注">名人以外のタイトル獲得3期の後に、C級1組在籍のまま1度も昇級せず七段昇段後190勝で八段へ昇段し、九段への昇段も決定し(実際に昇段したのはB級2組昇級時)、この事例も珍記録である。</ref>。第62期(2003年度)C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、ようやくB級2組へ昇級した。
;あわや杉本昌隆、藤井聡太の師弟同時昇級も藤井聡太、師匠に頭ハネされる未遂。(第77期)
:第77期C級1組は[[近藤誠也]] (順位6位)・[[杉本昌隆]] (順位7位)・[[船江恒平]] (順位14位)・[[藤井聡太]] (順位31位)の4人が最高成績の9勝1敗で並んだがために、船江恒平と藤井聡太が順位の差に泣く不運な結果に終わった。藤井の1敗は近藤誠也との直接対決 (10回戦、全39人のため抜け番あり)でついたもので、結果的にはこの対局が昇級者決定戦となった。なお、この対局はそれまで順位戦において18戦無敗であった藤井にとっては初の黒星となった対局であり、もしこれに勝っていれば、中原誠がそれまで保持していた順位戦無敗の最高記録を更新するところであった。また、11回戦は近藤誠・杉本・船江・藤井の4人が8勝1敗で並んだ状態で迎え、杉本と藤井がそれぞれ勝ち、近藤誠と船江が負ければ、'''32年振りの師弟同時昇級'''が実現するところであったが (藤井は杉本の弟子)、4人とも勝利したがために、昇級に関して師弟で明暗が分かれる結果となった。翌78期で藤井はB級2組へ昇級した。
;熾烈を極める昇級争い(第76期~第78期)
:近年のC級1組順位戦は昇級争いが熾烈を極めており、特に第76期~第78期までの3期は9勝1敗ながらも昇級を逃す棋士が2人も出る異常事態となっている。第79期からC級1組・B級2組でも昇級枠が3つに増えたのはこの出来事が背景にあるとみられる。
 
=== C級2組 ===