「おたく」の版間の差分

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== 定義 ==
[[File:Ken_Hirukogami.png|thumb|250px|[[コミックマーケット]]黎明期に出没していた[[蛭児神建]]は「おたく」が公然化する以前<ref name="yachi">「蛭児神さんは友だちの[[千之ナイフ]]さんと一緒に待ち合わせの喫茶店に現れた。/彼らは相手のことを『君は〜』とか『お前は〜』とか言うところを、『お宅は〜』と言っていたのが強く印象に残ったが、のちに[[二次元コンプレックス|漫画のロリコン]]は『オタク』と呼ばれるようになり、なるほどと納得したのでした。今では『オタク』は意味が広がって、漫画のロリコンに限らず、[[カメラ小僧|カメラオタク]]とか[[鉄道ファン|鉄道オタク]]とか、単にマニアという意味になってしまったように思う。僕と[[青山正明]]は、まだオタクという言葉がなかった頃にオタクの元祖に会ってしまったのでした」[https://ameblo.jp/tocs/entry-11960703249.html 谷地淳平「ミニコミ誌の思い出 その15」2014年12月4日付]</ref>にプレおたくの[[パブリックイメージ]]を[[変質者]]としてなぞらえた<ref name="kaidai">「改めてページをめくってみればわかることだが、[[吾妻ひでお]]の八〇年代の作品に帽子にサングラス、白いコートというキャラクターが時に登場する。『おたく』が公然化する以前の、いわば『[[変質者]]』としての“プレおたく”の[[パブリックイメージ]]をなぞったこの人物こそが[[蛭児神建]]である。そのようないでたちで実際に彼は[[コミックマーケット|コミケ]]などのイベントに現れた。彼が同人誌及び出版界における『[[ロリコン漫画|ロリコンまんが]]』の起源にいかにコミットしたかは、今回、彼自身が語っているので繰り返さないが、そのような表現を公然化しようとする時、当然、人々から向けられるであろう視線を彼はそのようないでたちをあらかじめ自らまとうことで相応に自覚していた記憶がある。それは『[[コスプレ]]』と言ってしまうほどに軽くもなく、『[[パロディ]]』というには余りに捨て身で、かといって『自虐』や『露悪』と切り捨てるにはやはり厄介で、ぼくにしてもあまり直視したくない存在であった。しかし、そのことはあの奇異ないでたちが同時代の中でぎりぎりの[[批評]]になっていたことの証しである。[[中森明夫]]が『おたく』の語をもって外からコミケに集う人々を[[カリカチュア|カリカチュアライズ]]するより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による『批評』としてあったことは事実として記しておくべきだろう。ぼくにとっても彼の異装は目を逸らさずにはおれないほどには充分に厄介なものだった」[[大塚英志]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/kaidai 特集・真説おたくの精神史──解題]」『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.4([[角川書店]] 2005年4月 pp.76-77)</ref>。[[大塚英志]]は「[[中森明夫]]が『おたく』の語をもって外からコミケに集う人々を[[カリカチュア|カリカチュアライズ]]するより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による『[[批評]]』としてあった」と指摘しており<ref name="kaidai"/>、後の[[ステレオタイプ]]な「おたく像」にも少なくない影響を与えたとされる<ref name="numakichi 20200218">「[[宅八郎]]は、[[蛭児神建]]のスタイルを[[テレビ]]に出られる程度に改変したものなので、宅八郎が考えて作ったキャラではなく、むしろ『あれをテレビに出られる程度に薄めて演じろ』みたな位置づけで出てきたものだよねえ」[https://twitter.com/obenkyounuma/status/1229441431426617344 ぬまきちのツイート] 2020年2月18日</ref>。]]
「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない{{Sfn|榎本秋|2009|p=19}}。俗には、[[萌え]]や[[秋葉系]]といったキーワードと強く結び付けられることがある。
 
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{{Cite book|和書|author=東浩紀|authorlink=東浩紀|title=動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 |date= 2008-11-20 |publisher=講談社|series=講談社現代新書|isbn=978-4061495753 |pages=8ページ|quote=『オタク』という言葉を知らない人はいないだろう。それはひとことで言えば、コミック、アニメ、ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、フィギュアそのほか、互いに深く結び付いた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称である。}}</ref>。
 
1989年に[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]がセンセーショナルに取り上げられ、犯人がビデオの収集家だったことから、メディアに拡大解釈、歪曲されて拡散され、オタクは犯罪を起こす、危険人物である、という[[ネガティブキャンペーン]]が大々的になされた。現在もオタクを否定的に捉える人々は、この事件にまつわる報道に影響を受けている場合が多い。また[[フリーランス|フリー]][[著作家|ライター]]として活動していた[[宅八郎]]が「おたく評論家」と自称し、まるで精神異常者のような扱い(宅本人も、狂人を演じていた)でテレビ番組などに多数出演したことも「オタクは趣味に没頭し過ぎて精神が破綻した狂人、異常者」というレッテルが貼られた大きな要因となっている。なお、[[オーバーフロー (ブランド)#メイザーズぬまきちの経歴|メイザーズぬまきち]]は[[マスメディア]]におけるオタク像のベースとして[[作家]]・[[編集者]]の[[蛭児神建]]<ref name="yachi"/>こそが起源であると主張しており<ref>「マスメディアにおける“[[宅八郎]]のオタク像”のベースとも言える[[蛭児神建|蛭子神建]]{{sic}}とか、もう完全に世間の記憶から忘れ去られていたりして、宅八郎が古いオタク像のオリジナル呼ばわりされてたりしますよね」[https://twitter.com/obenkyounuma/status/665825289700667392 ぬまきちのツイート] 2015年11月15日</ref>、宅のスタイルについても蛭児神をメディアに出せるようマイルドにしたものに過ぎないと評している<ref name="numakichi 20200218"/><ref>「[[宅八郎]]自体はオタクではなくオタク系に強い[[フリーランス|フリー]]のライターだったのが、コミケなどで[[蛭児神建]]のやっていたスタイルをマスメディア向けにやわらかくして世間にいじられるための芸にしてテレビで活躍する芸人に転身しただけだったこともすっかり忘れ去られて久しいものとなりましたね」[https://twitter.com/obenkyounuma/status/1300499056041443328 ぬまきちのツイート] 2020年9月1日</ref>。
 
ちなみに岡田によれば、[[1990年代]]頃からは否定的な意味は薄れ、おたくという言葉は肯定的に用いられるようにもなったという{{Sfn|岡田斗司夫|2000}}{{Sfn|岡田斗司夫|2008|pp=57,62-65}}。また、なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われている。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される<ref>{{Cite news