「ヴィーナー・オーパンバル」の版間の差分

[[オーストリア=ハンガリー帝国]]時代の[[1877年]]に第一回が開催され[[1945年]]まで続くが、戦災でウィーン国立歌劇場が焼失し、[[1955年]]に再建されるまで中断した。[[1956年]]から復活し、戦災復興の象徴として以降毎年開催される。主催者は帝国時代には[[オーストリア皇帝]]が、共和制移行後には[[オーストリア大統領]]が務めている。支配者が民衆のエネルギーを政治からダンスに向けさせる目的で催している、とする見解が現在でもされることがある。
 
[[貴族]]、現在の身分ある人、外国の[[外交官]]などの[[白人]]子女が[[ウィンナ・ワルツ]]を踊るための場であり、[[お見合い]]の意味も持っていた<ref name="倉田(1997) p.81">[[#倉田(1997)|倉田(1997)]] p.81</ref>。旧貴族については、旧貴族の中からその年ごとに選出して入場券を与えるという会員制で、系譜を辿ってその子孫に参加券が配られる形式を取った<ref name="倉田(2006) p.180">[[#倉田(2006)|倉田(2006)]] p.180</ref>。一般人は参加することができなかったため、国立歌劇場の周囲では「上流階級のふざけた催し」として、抗議デモが繰り広げられるのが常であった<ref name="倉田(1997) p.81"/>。[[1989年]]には、デモ参加者によってパトカーに火が付けられる事件が発生している<ref name="倉田(1997) p.81"/>。
 
近年になって基準が緩和され、審査を通れば一般人でも参加できるようになった。[[デビュタント]](debutant)としては、ダンス教室に通っている17歳~24歳の男女150組300人が[[オーディション]]で選出され、一生に一度しか出られない。今なお「お見合い」の意味を持っており、ダンスの裏で縁談をまとめる機会とされている<ref name="倉田(2006) p.180"/>。