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統合直後は運用プロセスなどの改善が遅れたために組織的な問題が提起され、地下鉄運行業務を一時的に[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]]へ外部委託することも検討された。最終的に[[ニューヨークシティー・トランジット・オーソリティー]] (NYCTA) が1953年6月15日に設立され、地下鉄の運行業務を引き継いだ<ref name="diehl" />。
 
第100代市長{{仮リンク|ウィリアム・オドワイアー|en|William O'Dwyer}}は1946年より10両編成の列車の運行に対応するため、駅ホーム有効長の延長プログラムを開始した。最初の工事は1946年8月8日に終了し、[[IRTブロードウェイ-7番街線]]の[[125丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|125丁目駅]]、[[207丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|207丁目駅]]、[[215丁目駅]]、[[マーブル・ヒル-225丁目駅]]、[[231丁目駅]]、[[238丁目駅]]の6駅のホームが総工費423,000ドルで延長された<ref name="BOT-19492">{{Cite book|url=https://hdl.handle.net/2027/mdp.39015023094926|title=Report for the three and one-half years ending June 30, 1949.|date=1949|publisher=New York City Board of Transportation}}</ref><ref name="0362-4331">{{Cite news|url=https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9F0CE4D7123EE03BBC4852DFB1668383659EDE|title=More Long Platforms – Five Subway Stations on IRT to Accommodate 10-Car Trains|date=July 10, 1948|page=8|newspaper=The New York Times|issn=0362-4331|access-date=March 27, 2016}}</ref>。1946年10月18日にはIRTブロードウェイ-7番街線の[[103丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|103丁目駅]]、[[カテドラル・パークウェイ-110丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|カテドラル・パークウェイ-110丁目駅]]、[[116丁目-コロンビア大学駅]]、[[137丁目-シティ・カレッジ駅]]、[[145丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|145丁目駅]]、[[157丁目駅]]、[[168丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|168丁目駅]]、[[181丁目駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|181丁目駅]]、[[191丁目駅]]、[[ダイクマン・ストリート駅 (IRTブロードウェイ-7番街線)|ダイクマン・ストリート駅]]のホームが総工費3,891,000ドルで延長された<ref name="BOT-19492" /><ref name="0362-4331" />。1946年11月15日には[[IRTイースタン・パークウェイ線]][[ホイト・ストリート駅]]のホームが733,200ドルで延長された<ref name="BOT-19492" /><ref name="0362-4331" />。翌1947年の1月24日、[[IRTレキシントン・アベニュー線]]の[[23丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|23丁目駅]]、[[28丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|28丁目駅]]、[[33丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|33丁目駅]]のホームが総工費4,003,000ドルで延長された<ref name="BOT-19492" />。1947年9月4日、ブロンクス区内の地下鉄駅のホームの延長を行う契約が結ばれた。この契約に基づく最初の工事は315,000ドルをかけて1949年6月13日に終了し、[[IRTホワイト・プレーンズ・ロード線]]の[[ジャクソン・アベニュー駅]]、[[プロスペクト・アベニュー駅 (IRTホワイト・プレーンズ・ロード線)|プロスペクト・アベニュー駅]]、[[インターベール・アベニュー駅]]、[[シンプソン・ストリート駅]]、[[フリーマン・ストリート駅]]、[[174丁目駅 (IRTホワイト・プレーンズ・ロード線)|174丁目駅]]、[[ウェスト・ファームズ・スクエア-イースト・トレモント・アベニュー駅]]のホームが延長された<ref name="BOT-19492" />。1949年9月14日、運輸委員会会長ウィリアム・リードはIRTの32駅のホームを延長する計画が総工費13,327,000ドルをかけて終了したと発表した。また、これと同時にリードは理事会が10両編成の列車に対応するために残り全てのBMT及びIRTの駅のホームを延長する5年間の計画を作成したことも発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1949/09/15/archives/platforms-added-at-32-irt-stations-city-pays-out-13327000-in.html|title=PLATFORMS ADDED AT 32 IRT STATIONS; City Pays Out $13,327,000 in Lengthening Local Stops to Take 10-Car Trains|last=Crowell|first=Paul|date=September 15, 1949|work=The New York Times|access-date=April 4, 2018|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。
 
[[File:Nostalgia Train (8892011318).jpg|thumb|right|20世紀半ばの重要な2つの地下鉄網拡大プロジェクトの1つとして1956年に開通した[[INDロッカウェイ線]]を走行中の[[ニューヨーク市地下鉄A系統|A系統]]の列車]]
 
== 活性化と近年の歴史 ==