「チーマー」の版間の差分

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== 概要 ==
[[1984年]]に、[[東洋バルヴ]]と[[キッツ|北澤バルブ]]の創業家青山[[北澤晃男|北澤]]邸に集まった[[青山]]を中心に[[原宿]][[渋谷]][[西麻布]][[六本木]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]][[広尾]][[恵比寿]]の地元中高生や名門付属高校生たちが、[[渋谷公園通り]]にも集まり、元祖チーム「ぽっくりーず」改め「ウォリアーズ」を作った。ウォリアーズを模倣し、[[1990年代]]中頃まで[[渋谷]]に[[中学生]]や[[高校生]]がチームを名乗り集まったのがチーマーである。<ref name="nnfx">{{Cite web|url=http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/431.html|title=渋谷アンダーグラウンド 〜街を作った男達の20年|work=[http://wwwz.fujitv.co.jp/nonfix/index.html NONFIX]|publisher=[[フジテレビジョン]] |accessdate=2009年5月17日 }}</ref>彼らは、[[渋谷センター街]]などでたむろし、一部のメンバーが都下や他県より渋谷にくる[[暴走族]]や[[ヤンキー]]と抗争を行ったり、一般人に喧嘩を売る、[[パーティー券]]などの押し売りをする、等を行うようになり<ref name="goo">{{Cite web|url=http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/233918/m0u/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC/|title=チーマーの意味 国語辞典|work=[http://dictionary.goo.ne.jp/ goo辞書]|publisher=[[NTTレゾナント|エヌ・ティ・ティ レゾナント]] |accessdate=2009年5月17日 }}</ref>、こうした若者やそのグループが自らのグループを「チーム」と呼んでいたことからチーマーと呼ばれるようになった。初めは渋谷でみられた事象だけを指していたが、後にそれ以外の地域の類似グループもそう呼ばれるようになる<ref name="goo"/><ref name="chugoku">{{Cite web|date=2001-10-31|url=http://www.chugoku-np.co.jp/tokusyuu/bousouzoku/011031.html|title=チーマー 広島県内で摘発相次ぐ|work=[http://www.chugoku-np.co.jp/index.html 中国新聞]|publisher=[[中国新聞社]] |accessdate=2009年5月17日 }}</ref><ref name="nagy">{{Cite web|author=石田真一|date=2001-12-19|url=http://response.jp/issue/2001/1219/article13869_1.html|title=愛知では暴走族=チーマー=ギャングだった!? 県警が実態を公表|work=[http://response.jp/ Response]|publisher=アイ・アール・アイ コマースアンドテクノロジー |accessdate=2009年5月17日 }}</ref>。一説によるとチーマーという言葉は[[1989年]]に作られたとされている<ref name="wasei"/>。初期のチーマーは裕福な家庭の[[慶應義塾高等学校|慶應]]や[[明治大学付属中野中学校・高等学校|明大中野]]など名門付属学校の学生で構成されていたが、90年代半ばになると[[暴走族]]に入るような富裕層以外の若者も影響され、チーマーとして活動するようになったと言われる。
 
[[1992年]]から[[1993年]]頃の渋谷では、店舗が軒並み閉店した深夜の渋谷センター街を大量のチーマーが占拠する事態に発展していた。なお、[[1990年]]前後には深夜営業を行う店舗が多かった渋谷センター街が、同時期に先述のように軒並み閉店する状況に変化したのは、チーマーの流行により多発したトラブルの影響によるものである。渋谷商店会の有志が見回りをする様になり減っていった。