「諸葛亮」の版間の差分

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=== 個人の評価 ===
* [[李厳]]:諸葛亮に手紙を出し、[[九錫]]を受け王となるよう勧めたことがあった。それは劉禅から帝位を奪うことに繋がる行為である。そのため「魏を滅亡させ、あなた方と一緒に昇進するならば、九どころか十の恩典でも受ける所存です」と李厳の申出を拒絶した。(『諸葛亮集』
* [[司馬懿]]:諸葛亮の没後陣形跡を眺めながら「天下の奇才なり」と永らく戦った敵でありながら、その軍才を敬意を込めて賞賛している。また諸葛亮に手紙を出し「[[黄権]](魏に降伏した蜀漢の将軍)は快男児です。彼はいつも、あなたのことを賛美し話題にしています」と述べた。
* [[李バク (蜀漢)|李邈]]:諸葛亮の死後、劉禅に上表して「(諸葛)亮は強兵を身辺に置き、狼のように狡猾で、虎のように(叛逆の)機会を窺っていました。強大な臣下を辺境におくのは危険であり(『[[春秋左氏伝]]』より)、臣はいつも危惧していました。今亮が没したのは、皇室は安泰を得られ、[[西戎]](西方の非漢民族)は安息を得られたのですから、万民が慶祝すべきと存じます」と主張した。劉禅は怒り、李邈を誅殺した。(『華陽国志』)