「フィル・リード」の版間の差分

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{{MGP|1975}}は前年にヤマハに移籍したアゴスチーニと熾烈なタイトル争いを最後まで繰り広げたが、ランキング2位に終わった。もはや4ストロークのマシンでは太刀打ちできないことを悟ったリードはMVアグスタと袂を分かち、{{MGP|1976}}は[[スズキ (企業)|スズキ]]の市販マシンでプライベーターとして参戦する。しかしスズキワークスの[[バリー・シーン]]にポイントで大差をつけられたリードは、シーズン半ばにして突如グランプリからの引退を発表した。
 
グランプリから身を引いたリードは、イギリスの国内レースや[[耐久レース]]、そして自身が先頭に立ってその危険性を糾弾していた[[マン島TTレース]]などに出場した。しかしマン島レースの出場は大きなブーイングを受けた。中には「転倒しても救助しない」と彼を嫌うオフィシャルもいた。リードの現役最後のレースは1982年、43歳で挑戦したマン島であった。
 
2002年、MotoGP殿堂入りを果たした。[[File:Phil Read i.jpg|thumb|right|200px|フィル・リード1975年]]