「石井宏 (野球)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
25行目:
*[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]] (1986 - 1988)
*[[阪神タイガース]] (1989)
|経歴補足題 = 監督歴
|経歴補足 =
*[[京都両洋高等学校]]女子硬式野球部
*
*[[札幌新陽高等学校]]女子硬式野球部
}}
'''石井 宏'''(いしい ひろし、[[1963年]][[10月17日]] - )は[[北海道]][[帯広市]]出身の元[[プロ野球選手]]。ポジションは([[投手]][[内野手]])
 
==来歴・人物==
[[北海道日本大学高等学校(現:[[|北海道日大等学校]]では、[[1981年]]の[[第53回選抜高等学校野球大会]]にチームの主戦投手として出場した。同年の[[1981年度新人選手選択会議 (日本プロ野球ドラフト会議)|プロ野球ドラフト会議]]で[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]から4位指名を受けるが拒否し、翌年、[[日本大学硬式野球部|日本大学]]に進学。[[東都大学野球連盟|東都リーグ]]では通算55試合に登板し19勝27敗、防御率2.49、223奪三振という成績を残す。2年生春は7勝2敗、71奪三振を記録するなど活躍し、最優秀投手とベストナインに選ばれ[[日米大学野球選手権大会]]にも出場した。しかし、以後は負けが目立つようになった。[[1985年]]のドラフト会議で、[[伊東昭光]]の外れ1位で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]に指名され、プロ球界入り。1年目の6月、2度目の先発(対 日本ハムファイターズ)で7回途中まで投げ初勝利を挙げる。2年目の1987年には[[ウェスタン・リーグ]]で最多勝を獲得したが、一軍では1勝に終わり、通算2勝3敗と活躍できず。故障の影響もあって1988年より[[内野手]]に転向。しかし、同年オフに[[引退#プロ野球|自由契約]]選手となった。翌年、[[阪神タイガース]]に[[投手]]として入団テストに合格し移籍。しかし、二軍でも8試合のみの登板に終わり、1年で再度自由契約となりこの年限りで引退した。
 
[[1985年]]の[[1985年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]]で、[[伊東昭光]]の外れ1位で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]から指名を受け入団。
日本大学在学中に高校2級・中学1級保健体育教員免許を取得していたが、高校野球指導者を目指すにも、プロ・アマ規定(当時は10年間の教職を得て許可される/その後2年間に短縮)の壁があり長く実現できなかった。2011年11月に[[京都両洋高等学校]]の教諭となり、2012年4月に同校女子硬式野球部監督に就任した<ref>{{cite web|url=http://ameblo.jp/rei-ueda3/day-20111118.html|title=女子硬式野球部発足!!|publisher=京都両洋高校女子硬式野球部|date=2011-11-18|accessdate=2012-06-01}}</ref>。その後同校は2016年3月末で退職したが、翌4月より[[札幌新陽高等学校]]の保健体育教諭となり、2017年度に東北・北海道初となる女子硬式野球部が同校に誕生する際、初代監督に就任した。教え子に[[日本女子プロ野球機構|女子プロ野球]]の[[みなみ (野球)|高塚南海]]・[[吉田奈津]]、[[女子野球日本代表]]の小島也弥・田口真奈がいる。2021年3月末で、札幌新陽高等学校の退職が決まった。
 
1年目の[[1986年]]6月、2度目の先発(対 日本ハムファイターズ)で7回途中まで投げ初勝利を挙げる。2年目の1987年には[[ウェスタン・リーグ]]で最多勝を獲得したが、一軍では1勝に終わり、通算2勝3敗と活躍できず。故障の影響もあって[[1988年]]より[[内野手]]に転向するが、一軍出場機会はなく、同年オフに[[引退#プロ野球|自由契約]]選手となった。翌年、[[阪神タイガース]]に[[投手]]として入団テストに合格し移籍。しかし、二軍でも8試合のみの登板に終わり、1年で再度自由契約となりこの年限りで引退した。
==詳細情報==
 
日本大学在学中に高校2級・中学1級保健体育教員免許を取得していたが、高校野球指導者を目指すにも、プロ・アマ規定(当時は10年間の教職を得て許可される/その後2年間に短縮)の壁があり長く実現できなかった。[[2011年]]11月に[[京都両洋高等学校]]の教諭となり、[[2012年]]4月に同校女子硬式野球部監督に就任した<ref>{{cite web|url=http://ameblo.jp/rei-ueda3/day-20111118.html|title=女子硬式野球部発足!!|publisher=京都両洋高校女子硬式野球部|date=2011-11-18|accessdate=2012-06-01}}</ref>。その後同校は[[2016年]]3月末で同校を退職したが、翌4月より[[札幌新陽高等学校]]の保健体育教諭となり、2017年度に東北・北海道初となる女子硬式野球部が同校に誕生する際、初代監督に就任した。教え子に[[日本女子プロ野球機構|女子プロ野球]]の[[みなみ (野球)|高塚南海]]・[[吉田奈津]]、[[女子野球日本代表]]の小島也弥・田口真奈がいる。2021年3月末で、札幌新陽高等学校の退職が決まった。
 
教え子に[[日本女子プロ野球機構|女子プロ野球]]の[[みなみ (野球)|高塚南海]]・[[吉田奈津]]、[[女子野球日本代表]]の小島也弥・田口真奈がいる。
 
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
52 ⟶ 59行目:
 
=== 記録 ===
* 初登板 1986:1986年5月24日 対ロッテ戦(西宮)1-6 4回1死から登板、4回2/3を1失点
* 初勝利 1986:1986年6月8日 対日本ハム戦(後楽園)5-2 先発し、6回1/3を2失点
 
=== 背番号 ===
73 ⟶ 80行目:
{{阪急ブレーブス1985年ドラフト指名選手}}
{{ロッテオリオンズ1981年ドラフト指名選手}}
 
{{デフォルトソート:いしい ひろし}}
[[Category:日本の野球選手]]