「オペラ・ブッファ」の版間の差分

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一方、オペラ・ブッファの基本的な形式もまた3幕であるが、カストラートは使われることはなく、特にバスである「バッソ・ブッフォ」(basso buffo, 道化的バス)が重視されている。バッソ・ブッフォは低音域の男性歌手で、滑稽な場面の中心的役割を担う。彼の歌う[[アリア]]や[[独唱]]は極めて速い[[テンポ]]をもち、滑稽さを演出するために音符間の跳躍が非常に多く用いられている。有名なバッソ・ブッフォのキャラクターとしては、モーツァルトの『[[ドン・ジョヴァンニ]]』に登場するレポレロが挙げられる。
 
ナポリのオペラ・ブッファ作品(すべて)においては[[方言]]が用いられるが、その度合いは話者の身分に応じるもので、さらに世紀後半になるとその度合いは全体的に弱まり、バス・ブッフォなど喜劇役のみが方言を話すのみとなる。これはジャンルの国際化とも関わってくるが、実際「地方」へ輸出される場合には標準イタリア語へと翻訳されるのが一般的であった。なお、当時ヴェネツィアとナポリのみがオペラブッファの製作の拠点であり、[[ミラノ]]、[[フィレンツェ]]、[[パレルモ]]などの都市はほとんど「輸入品」に頼っていた。
 
オペラ・ブッファは音楽の内容がより単純、ひいては貧弱であり、長さや想像力に限りがあり、高尚なジャンルに含まれないと当初は言われたこともあった。しかし1768年5月、音楽愛好家でもあったオーストリア皇女[[マリア・カロリーナ・ダズブルゴ|マリア・カロリーナ]]がナポリ王[[フェルディナンド1世 (両シチリア王)|フェルディナンド4世]]のもとに嫁いで以降、ナポリの宮廷ははオペラ・ブッファを演ずる民間劇場一座を宮廷に招き、これを奨励しており、ここから急速にオペラ・ブッファの「高踏化」が始まったとみることができる。すでにブフォン論争である程度オペラ・ブッファが紹介されていたフランスのほか、ナポリを見習った他地域の宮廷でも同様にオペラ・ブッファが急速に好まれ始め、後にモーツァルトの名作『[[フィガロの結婚]]』や『ドン・ジョヴァンニ』など、「芸術的」なブッファが生み出される土壌を作り出した。この時期で重要な作曲家が、[[アントニオ・サッキーニ|サッキーニ]]、ピッチンニ、グリエルミ、[[ジョヴァンニ・パイジェッロ|パイジエッロ]]、[[ガエターノ・マリネッリ|マリネッリ]]、[[ドメニコ・チマローザ|チマローザ]]、[[ジャコモ・トリット|トリット]]、[[シルヴェストロ・パルマ|パルマ]]、[[ヴァレンティーノ・フィオラヴァンティ]]などである。