「カーティス音楽院」の版間の差分

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1)グラフマンはすでに校長職を退いていますので、時制をそれに合わせて変えました。2)アーロン・ローザンドを追加しました。
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* [[1924年]]にメアリ・ルイーズ・カーティス・ボックにより、本来は、[[ウィーン国立音楽大学]]と[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]の関係に倣って、[[フィラデルフィア管弦楽団]]の水準を満たすような楽団員の養成機関をめざして設立されたが、設立当初から、ピアノ科・オルガン科・声楽科・作曲科の学課が設けられていた。
 
* 学生全員に[[奨学金]]が全額支給されるが、入学は2020年代の少子化を迎えた現在、アメリカを含めた全世界からの応募があるためきわめて難しい。ピアノ科・指揮科・作曲科を別として、[[オーケストラ]]とオペラ団一つずつを満たす人数しか入学許可されない。また、アメリカの大学にかつて珍しく、入学時の年齢制限があり、ピアノなを設けていたほ演奏系の科は21歳ま、作曲科は28歳までの者しか入学が許可されないあった<ref>{{Cite web |url = https://www.curtis.edu/admissions/apply/|title = Curtis sets no minimum or maximum age for the admission of exceptional students to most of its programs. |website = www.curtis.edu|publisher = Curtis Institute Of Music|date = |accessdate = 2020-09-24}}</ref>
 
* 過去の校長は、[[ピアニスト]]の[[ヨゼフ・ホフマン]]、[[作曲家]]の[[ランダル・トンプソン]]、[[ヴァイオリニスト]]の[[エフレム・ジンバリスト]]、[[ピアニスト]]の[[ルドルフ・ゼルキン]]、[[オーボエ]]奏者の[[ジョン・デ・ランシー (音楽家)|ジョン・デ・ランシー]]である。[[1995年]]から[[2005年]]度までは[[ゲイリー・グラフマン]]が校長を務め、校長退任後もピアノ科教授を勤続した。[[2006年]]度からは、[[フィラデルフィア管弦楽団]]首席ビオラ奏者のロベルト・ディアスが選任された。