「中国東北部」の版間の差分

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[[19世紀]]後半にはロシアの脅威を受け清朝が一転して植民を促したことで漢民族の人口は増加し土地が農耕によって開墾された。[[日露戦争]]で勝利を収め、その後の[[韓国併合]]も重なり[[日本統治時代の朝鮮|統治下の朝鮮]]と地理的に接する南満州を得た[[大日本帝国]]は東北部を拠点とする軍閥の[[奉天派]]を支援した。
 
[[満州国]]統治時代(1932年 - 1945年)になると、日本から[[資本]]が投下され[[鉄道]]や[[発電所]]など近代的な[[インフラストラクチャ]]が整備された。日本の傀儡政権とはいえ、安定と発展がもたらされた満州国には[[満蒙開拓団|日本人開拓団]]の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多数の移民が流入した。その結果、人口が建国時の約3000万から約4500万に膨れ上がった。新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルビン、吉林、チチハルといった近代的な都市が形成された時期でもある。
 
[[第二次世界大戦]]後、[[1949年]][[10月1日]]に建国された[[中華人民共和国]]の統治下に入った後は[[改革開放]]が始まるまで、中国随一の[[工業]]地帯として[[中華人民共和国の経済|同国の経済]]を支えた。