「SNK (1978年設立の企業)」の版間の差分

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[[1999年]]にも東京・お台場の[[パレットタウン]]に「ネオジオワールド東京ベイサイド」(のちの[[東京レジャーランドパレットタウン店]])を開園、観覧車やジェットコースターなど当時の技術の粋を集めた最新アトラクションを完備しており、オープン時には同じく台場に本社を建設した[[フジテレビジョン|フジテレビ]]を擁する[[フジサンケイグループ]]との大規模な[[タイアップ]]が組まれ、各種メディアでたびたび特集された。
 
一方で、1990年代も終盤に差し掛かるとエス・エヌ・ケイが得意とする2D対戦格闘ゲームのブームは終焉を迎えており、ネオジオCDやハイパーネオジオ64も、ヒットには至らなかった。併せて、当初は好調だったネオジオポケットと[[ドリームキャスト]]が後発の[[ゲームボーイカラー]]に対して劣勢になりはじめ、開園したばかりの「ネオジオワールド東京ベイサイド」が、同時期にリニューアルオープンした「[[よこはまコスモワールド]]」に話題を奪われるなど、事業拡大一辺倒であったエス・エヌ・ケイの経営に次第にかげりが見え始めた。
 
結局のところ、この遊園地事業は莫大な赤字を出し、エス・エヌ・ケイの経営体力を浪費させただけであった。また、[[1999年]]には数多くのエス・エヌ・ケイ作品を紹介し攻略記事を掲載してきたアーケードゲーム[[専門雑誌]]『[[ゲーメスト]]』が、出版元である[[新声社]]の[[倒産]]により[[廃刊]]となったのも痛手となった<ref>新声社もまた、『ゲーメスト』の極端な格闘ゲーム偏重の編集方針など、ゲーム業界の潮流を見誤ったことが倒産の一因とされている。</ref>。