「于山国」の版間の差分
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{{韓国の事物|
|title=于山国
|picture=
|alphabet-type=[[文化観光部2000年式|ローマ字転写]]
|alphabet=Gwaneumdo
|hangeul=우산국
|hanja=于山國
|hiragana=うざんこく
|katakana=ウサングク
}}
'''于山国'''(うざんこく、{{lang-ko|우산국}}、{{lang-en|''Usan-guk'', or the ''State of Usan''}}
== 『三国史記』
[[ファイル:Usan Ullengdo.gif|thumb|『[[三国史記]]』巻四「新羅本紀」。于山国に関する部分]]
[[1145年]]に編纂された[[朝鮮半島]]に残る最古の[[文献資料 (歴史学)|文献資料]]、『[[三国史記]]』によ
===
『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀
{{quotation|
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=== 解説 ===
このように、于山国の別名が鬱陵島であることを明確に述べており、[[6世紀]]に于山国が新羅の属国となったことが史実であるとしても、新羅は必ずしも于山国を直接支配しているわけではないことがうかがえる。また、『三国史記』編纂時期より500年も前のできごととして記しており、「愚かで凶暴」「獅子の像に、恐れ慄きすぐに降伏した」などの記述は于山国の人々ないし鬱陵島民に対する強い差別感情を示す内容となっている。
== 「于山」の名が残る朝鮮の古地図 ==
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</gallery>
==
{{
[[大韓民
朝鮮国王が国家統治の際、手もとにおき百科事典のように参照した1808年刊行の『万機要覧』には、
{{quotation|
輿地志に曰く、鬱陵島と于山島は皆于山国の地であり、于山島は倭人のいうところの松島である<ref name=kim121 />。
}}
との文言がある<ref name=kim121>[[#金|金 (2007)pp.121-123]]</ref>。これは、韓国では于山島が「独島」であることを明白に示したものであるとの理解が示されている<ref name=kim121 />。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[内藤正中]]・[[金柄烈]]|year=2007|month=4|title=史的検証 竹島・独島|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-023774-1}}
** {{Cite book|和書|author=内藤正中|year=2007|chapter=第1部 竹島の歴史|title=史的検証 竹島・独島|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-023774-1|ref=内藤}}
** {{Cite book|和書|author=金柄烈|year=2007|chapter=第2部 独島の歴史|title=史的検証 竹島・独島|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-023774-1|ref=金}}
== 関連項目 ==
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