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[[ニューヨーク]]生まれ。両親は[[クロアチア人]]移民だった。14歳で[[ブロンクス区]]のジャズクラブで歌うようになり、[[1946年]]から[[1947年]]にかけて、レジー・チャイルズ・オーケストラ(Reggie Childs Orchestra)という[[ビッグバンド]]の一員として活動<ref>[http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=23366 Helen Merrill: 60 Years of Warm Sweet Songs](allaboutjazz.com)</ref>。[[1948年]]、[[クラリネット]]奏者の[[アーロン・サクス]]([[:en:Aaron Sachs|Aaron Sachs]])と結婚するが、[[1956年]]に離婚。2人の長男の[[アラン・メリル]]は、後に元[[ザ・テンプターズ]]の[[大口広司]]と共に[[ウォッカ・コリンズ (バンド)|ウォッカ・コリンズ]]で活動したシンガーソングライター、ギタリスト、また、英国でのバンド、アローズの時代の世界的大ヒット曲「[[アイ・ラヴ・ロックン・ロール]]」 ([[:en:I Love Rock 'n' Roll|I Love Rock 'n' Roll]] ) (1975年) の作詞・作曲家、オリジナル・レコーディング・アーティスト、パフォーマーでもある<ref>[http://www.mbs1179.com/blues/lecture/19990501.html Osaka Blues Spirits]</ref>。
 
[[1954年]][[12月22日]]から[[12月24日|24日]]にかけて、初のリーダー・アルバム『[[ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン]]』を録音。[[1956年]]に早世する[[トランペット]]奏者の[[クリフォード・ブラウン]]が全面参加し、[[クインシー・ジョーンズ]]が[[編曲]]を担当。同作収録の「[[ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ]]」(作詞・作曲は[[コール・ポーター]])は、メリルの代表的なレパートリーとなった。1956年の作品『ドリーム・オブ・ユー』では[[ギル・エヴァンス]]と初共演。[[1950年代]]末期になると[[ヨーロッパ]]での活動が増し、[[イタリア]]録音のアルバム『ローマのナイト・クラブで』では[[ニニ・ロッソ]]と共演。その他、多くのジャズ巨匠と共演しており、[[ビリー・ホリデイ]]、[[チェット・ベーカー]]、[[スタン・ゲッツ]]らがプロの仲間、また、友人として挙げられる。
 
[[1960年]]11月、初の[[日本]]公演を行う<ref>『ローマのナイト・クラブで』日本盤CD(BVCJ-38083) ライナーノーツ(野口久光)</ref>。[[1963年]]にも日本を訪れ、[[山本邦山]]等と共演。[[1966年]]頃、[[UPI通信社]]のアジア総局長ドナルド・ブライドンと2度目の結婚し、それを機に日本に移住<ref>『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』日本盤CD(UCCU-5004) ライナーノーツ(岩浪洋三)</ref>。以後、[[渡辺貞夫]]との共演盤『ボサ・ノヴァ・イン・トーキョー』、[[猪俣猛とウエストライナーズ]]との共演盤『オータム・ラヴ』、[[佐藤允彦]]と共に制作した[[ビートルズ]]のカヴァー集『ヘレン・メリル・シングス・ビートルズ』、当時やはり日本在住だった[[ゲイリー・ピーコック]]との共演盤『スポージン』等を発表。その後、ブライドンと離婚し、[[1972年]]にはアメリカに帰国して音楽活動を停止するが、[[1976年]]には[[ジョン・ルイス (ジャズ演奏者)|ジョン・ルイス]]との共演盤『ジャンゴ』を発表し、活動再開。
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[[親日家]]であり、活動再開後は数多く来日、ライブ・[[コンサート]]活動をしている。近年では2015年に続いて、2017年4月に最後となる来日公演を行った。
 
また、[[1993年]]、日本映画『[[僕らはみんな生きている]]』([[滝田洋二郎]]監督)の主題歌として、「[[手のひらを太陽に]]」を英訳してカヴァーする。クリフォード・ブラウンとの共演から40年後に当たる[[1994年]]には、『[[ブラウニー〜クリフォード・ブラウンに捧げる]]』発表。『あなたと夜と音楽と』([[1997年]])では[[菊地雅章]]と共演。[[プラハ]]録音の『ライラック・ワイン』([[2003年]])では、[[エルヴィス・プレスリー]]の「ラヴ・ミー・テンダー」や[[レディオヘッド]]の「ユー」をカヴァーした。
 
== ディスコグラフィ ==
=== リーダー・アルバム ===
*『[[ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン]]』 - ''[[:en:Helen Merrill (album)|Helen Merrill]]''(EmArcy、1955年)
*『ヘレン・メリル・ウィズ・ストリングス』 - ''[[:en:Helen Merrill with Strings|Helen Merrill with Strings]]''(EmArcy、1955年)
*『ドリーム・オブ・ユー』 - ''[[:en:Dream of You (Helen Merrill album)|Dream of You]]''(1956年、1957年録音)(EmArcy、1957年)
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*『ラブ・イン・ソング』 - ''Love in Song''(1977年)
*『チェイジン・ザ・バード』 - ''Chasin' The Bird''(1979年)
*『クール&ボッサ』 - ''Casa Forte''(1980年)
*''Imagination''(1982年)
*''Affinity''(1982年)
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*[[ロン・カーター]]と共同名義, ''Duets''(1987年)
*[[スタン・ゲッツ]]と共同名義, 『[[ジャスト・フレンズ (ヘレン・メリルのアルバム)|ジャスト・フレンズ]]』 - ''Just Friends''(1989年)
*''Clear Out of This World''(1991年)
*''Christmas Songbook''(1991年)
*''Helen Merrill in Italy''(1991年)
*『ブラウニー〜クリフォードブランに捧げるト・オブ・ディス・ワールド』 - ''BrownieClear Out of This World''(1994(1991年)
*『[[ブラウニー〜クリフォード・ブラウンに捧げる]]』 - ''Brownie: Homage to Clifford Brown''(1994年)
*『あなたと夜と音楽と』 - ''You And The Night And The Music''(1997年)
*''Carousel''(1997年)
*『ヘレン・メリル』 - ''Jelena Ana Milcetic AKA Helen Merrill''(2000年)
*『ライラック・ワイン』 - ''Lilac Wine''(2003年)
*『ライブ・アット・ニューラテンクォーター』 - ''Live At New Latin Quarter''(2013年)
 
== テレビ出演 ==