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真珠湾攻撃から帰投する途中の南雲機動部隊(指揮官[[南雲忠一]]中将/[[第一航空艦隊]]司令長官)より分派された(重巡2、空母2〈[[蒼龍 (空母)|蒼龍]]、[[飛龍 (空母)|飛龍]]〉、駆逐艦2)の協力で、同島上空の制空権を確保しての第二回の攻撃(12月23日)で攻略に成功した{{sfn|草鹿|1979|pp=83-85}}。
 
[[1942年]](昭和17年)初頭、南洋部隊(第四艦隊)は[[ニューブリテン島]]の[[ラバウル]]と[[ニューアイルランド島]]の[[カビエン]]を攻略することになり、南雲機動部隊が作戦に協力した{{sfn|草鹿|1979|pp=90-91}}。作戦打ち合わせのためトラックに到着した機動部隊参謀長[[草鹿龍之介]]少将は、戦略的に重要な割にトラックの防備は不十分で落ち着かなかったと回想している{{sfn|草鹿|1979|p=92}}。また草鹿が第四艦隊司令部を訪問すると、井上は「真珠湾作戦の水際だった腕前にはひと言もない。ただ頭をさげる」と喜んだ{{sfn|草鹿|1979|p=113}}。軍令部時代に井上から叱られてきた草鹿は井上に良い印象を持っていなかったが、この件で感激している{{sfn|草鹿|1979|p=113}}。南洋部隊と南雲機動部隊の圧倒的戦力により、ラバウルとカビエンはすぐに陥落した{{sfn|草鹿|1979|pp=93-94}}。
 
南洋部隊と南雲機動部隊の圧倒的戦力により、ラバウルとカビエンはすぐに陥落した{{sfn|草鹿|1979|pp=93-94}}。
1942年1月30日、連合艦隊はラエ、サラモア、ツラギ及びポートモレスビーの攻略を南洋部隊指揮官の井上に命じ、井上は、3月にラエ、サラモア、4月にツラギ、ポートモレスビーを攻略するように計画したが、3月10日に米機動部隊がラエ、サラモアに来襲し、日本の攻略部隊は艦船に大損害を受け、ポートモレスビー攻略作戦はおおむね一か月以上延期せざるを得なくなった<ref>戦史叢書49 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで 163頁</ref>。
 
開戦前から第四艦隊に編入されていた基地航空部隊の第24航空戦隊は、[[1942年]](昭和17年)4月10日の基地航空兵力戦時編制の改編で外され、[[第十一航空艦隊]](11航艦)の指揮下に移され、第四艦隊の戦力は減少した。開戦後に新編成され、ラバウル・ソロモン方面に展開し、MO作戦に参加した第25航空戦隊も、第四艦隊の指揮下であった<ref>『伝記』 331頁。</ref>。同時期、南洋部隊(第四艦隊)が各方面に配備を要請していた空母[[祥鳳 (空母)|祥鳳]]が南洋部隊(指揮官第四艦隊司令長官)に編入された。