「フランティセック・クプカ」の版間の差分

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[[オーストリア=ハンガリー帝国]]領東[[ボヘミア]](現[[チェコ]])のオポチノに生まれ、[[パリ]]郊外の[[ピュトー]]にて没する。
 
[[ウィーン]]の美術アカデミーで学ぶ。初期には、幻想的な具象絵画を制作している。その後パリに移り、具象絵画から、[[キュビスム]]の影響を受けて次第に抽象化が進み、1911年から1912年ごろには完全な抽象絵画に至った。1910年代、1920年代は、カラフルで有機的な抽象作品であったが、1931年には、{{ill2|アプストラクシオン・クレアシオン|en|Abstraction-Création}}の主要メンバーともなり、1930年代には、[[幾何学構成絵画|幾何学的]]傾向が強まっていった。
 
一般に、[[オルフィスム]]の画家に分類されることが多い。