「ジョン・コンスタブル」の版間の差分

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{{参照方法|date=2012年12月}}
{{Infobox 芸術家
[[ファイル:ConstableSelfPortrait.png|150px|right|thumb|自画像]]
| bgcolour = #6495ED
| name = ジョン・コンスタブル<br>John Constable
| image = File:John Constable by Daniel Gardner, 1796.JPG
| imagesize = 180px
| caption = Daniel Gardnerによる肖像画
| birthdate = [[1776年]][[6月11日]]
| location = イギリス,イースト・バーゴルト
| deathdate = [[1837年]][[3月31日]]
| deathplace = イギリス,ロンドン
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}}
[[ファイル:John_Constable_The_Hay_Wain.jpg|thumb|right|300px|乾草車 1821 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵]]
[[ファイル:John Constable 017.jpg|thumb|right|200px300px|主教の庭から見た[[ソールズベリー大聖堂]] 1823 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)蔵]]
{{Commonscat|John Constable}}
'''ジョン・コンスタブル'''('''John Constable'''、[[1776年]][[6月11日]] - [[1837年]][[3月31日]])は、[[19世紀]]の[[イギリス]]の[[画家]]である。'''カンスタブル'''と表記することもある。
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同時代の[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ウィリアム・ターナー]]とともに、19世紀イギリスを代表する風景画家である。西洋絵画の歴史においては神話、聖書のエピソード、歴史上の大事件や偉人などをテーマとした「歴史画」が常に上位におかれ、「風景」は歴史画や物語の背景としての意味しか持っていなかった。[[17世紀]][[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]では[[風景画]]が発達したが、ヨーロッパ全土で風景画が市民権を得るには[[フランス]]の[[バルビゾン派]]、イギリスのターナーやコンスタブルが登場する19世紀を待たねばならなかった。
 
== 略歴 ==
コンスタブルは[[1776年]]、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときにジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという。
 
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{{デフォルトソート:こんすたふる しよん}}
[[Category:18世紀ギリスングランドの画家]]
[[Category:19世紀イングランドの画家]]
[[Category:ロマン派の画家]]
[[Category:19世紀の画家]]