「シャルル・ド・ロアン (スービーズ公)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
 
33行目:
 
== 生涯 ==
1715年、シャルルは[[ヴェルサイユ]]で誕生した。父はスービーズ公{{仮リンク|ジュール・ド・ロアン (スービーズ公)|en|Jules, Prince of Soubise|label=ジュール・フランソワ}}で、王立警護隊の憲兵隊大佐であった。1724年に両親がともに[[天然痘]]で亡くなり、妹の{{仮リンク|[[マリールイーズ=ジュヌヴィエーヴ・ド・ロアン|en|Marie Louise de Rohan|label=マリールイーズ}}(のちのマルサン夫人。幼いルイ16世ら兄弟の教育係となった)]]と共に孤児となった。彼は祖父{{仮リンク|エルキュール・メリアデック・ド・ロアン|en|Hercule Mériadec, Duke of Rohan-Rohan|label=エルキュール・メリアデック}}の元に託され、同い年のルイ15世の遊び相手として宮廷で育った。
 
彼はルイ15世に伴われ、1744年から1748年にかけての遠征に参加した。自身の軍事才能以上の世渡り上手さゆえに軍人として出世を重ねた。すぐ後に[[七年戦争]]が勃発すると、王の愛妾[[ポンパドゥール夫人]]の影響力を通じて彼は24,000人の兵を率いたが、1757年11月に[[ロスバッハの戦い]]で大敗を喫した。