「イポリト・イリゴージェン」の版間の差分

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イリゴージェン政権下でアルゼンチン経済は繁栄を謳歌していた。[[第一次世界大戦]]中は[[中立]]を貫き通し、主要な輸出品の肉類や穀類の新市場の開拓や牛肉価格の高騰による恩恵を受けた。また、経済成長の加速のためにエネルギーの自立化を求めるようになった。その結果として国営石油会社の[[YPF]]の設立への議会の支持を得て、[[アルゼンチン軍]]の近代化を主唱していた[[エンリケ・モスコーニ]]将軍をYPF総裁に任命した。また、零細農民への助成金を拡充して、一方で賃金紛争では労働組合に有利な解決をした<ref>The Penguin History of Latin America by Edwin Williamson</ref>。
 
アルゼンチン経済は第一次世界大戦の間、目覚ましい成長を遂げた。「世界の穀倉」として知られ、当時の一人当たり国内総生産は世界で最も高かった<ref>Lewis, John. ''The Crisis of Argentine Capitalism. University of North Carolina Press, 1990.</ref>。[[1919年]]の経済危機の後、官僚制度を拡充させ、都市部の有権者のために公共支出を拡大させた。都市部の生活水準。憲法で再選が制限されていたため、同じ急進市民同盟の[[マルセーロ・アルベアール]]を後任の大統領に据えた。
 
[[1928年]]のアルベアールの任期切れによる退任の後、イリゴージェンは圧倒的多数の得票をもって大統領に選出された。しかし、[[1929年]]に始まった[[世界恐慌]]により、体制変革を求める軍部と保守層の動きが顕在化した。その中には、政権によるスタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(後の[[エッソ]])やYPFの[[サルタ州]]から[[ボリビア]]への原油の密輸取締りの努力への反発があった<ref>Wirth, John. ''The Oil Business in Latin America''. Beard Books, 2001.</ref>。
 
=== 忌まわしき10年間 ===