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日本のイヤリング文化
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多くの文化で身分や美しさの象徴として用いられている。かつては、[[奴隷]]身分を示すため、耳から外すことのできないタイプのものが用いられていたところもある。最近では、他の人の助けを借りなければ取り外すことのできないほど複雑で巨大なタイプが流行している地域もある。また、一部の[[フェティシズム]]では、[[錠]]付きのイヤリングが用いられている。
 
[[日本列島]]におけるイヤリングの文化は[[縄文時代]]前期(約6500年前)には出現しており、「玦状耳飾り」や「[[栓状耳飾り|耳栓]]」(じせん)と呼ばれる石製または粘土製イヤリングが当時期の[[遺跡]]から出土している<ref name=上田>上田 2006年 pp.105-110</ref>。[[弥生時代]]になるとイヤリング文化は衰退し、[[古墳時代]]中期前半(5世紀半ば)頃まで見られなくなるが、中期後半以降には[[朝鮮半島]]からの[[渡来系]]文化・技術として金属製装身具とその製法(金[[鍍金]]など)が流入し、再びイヤリングが出現した。[[古墳時代]]後期から[[飛鳥時代]](6世紀~7世紀)にかけては「[[耳環]]」と呼ばれる金属製イヤリングが製作され、[[横穴墓]]などから出土するほか、[[埴輪]]の表現にもみられるようになった<ref name=上田/>。しかしその後は[[律令制]]導入に伴う[[唐]]風文化の波及などにより衰退していったと考えられており、以後日本では[[明治時代]]に至るまでイヤリング文化は一般的でなくなった<ref name=上田/>。
 
[[1871年]]([[明治]]4年)、日本政府[[開拓使]]は布達により[[アイヌ民族]]に対し、男子の耳飾り(アイヌ語では「ニンカリ」という<ref>関根 2016</ref>)を禁止し、[[日本民族]]への同化を促した歴史が有る<ref>社団法人北海道観光振興機構 2009年</ref>。徴兵制をいている近代軍隊制度を有する国では、敵につかまれて引き千切られるような装身具の類は好まれていない事実もある(認識票などは引っかかってもすぐとれる)。
 
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