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Ittyon (会話 | 投稿記録)
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一時上御霊社の戦いの後、宗全の勢力が都を席巻していたが、事態の推移を静観していた勝元は、守護に呼びかけ16万の兵見て、勝元邸・今出川邸周辺に集めると同盟軍16万を上洛させ(東軍)、戦火から保護するという名目で天皇義政義尚富子義視を自己の管理下に置き、圧力をかけ義政から[[牙旗]]を授与され官軍としての体裁を整えた(東軍)。対する宗全も[[周防国]]の [[大内政弘]]らの有力守護大名を味方につけて11万の兵を宗全邸付近に集めた(西軍)。人口22万人であったといわれる[[京都]]に東西26万派へ兵が対峙する、大規模本格的ものだっ反攻を開始した。
 
対する宗全が[[周防国]]の [[大内政弘]]らの有力守護大名を味方につけて11万の兵を宗全邸付近に集める(西軍)と、勝元は義政に圧力をかけて[[牙旗]]を授与させ東軍は官軍としての体裁を整えた。
 
当時の人口が22万人といわれる[[京都]]に、東西軍合わせて27万の兵が対峙する異様な状況が展開されることになった。
 
== 戦況の変遷 ==