「藤原不比等」の版間の差分

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歴史学者の間では皇胤説の支持は少ないが、もし本当に皇胤であったとすれば、後の異例とも言える不比等の出世が、[[天武天皇]]・[[持統天皇]]代に行われた[[皇親政治]](天智・天武系皇子を朝廷の要職に就け、政治の中枢を担わせた形態)の延長として考えることも可能になるとして、支持する学者もいる<ref>『かぐや姫と王権神話』([[保立道久]]、洋泉社、2010年、ISBN 978-4-86248-600-4)121-124頁。</ref>。
 
なお同様の伝承は[[平清盛]]にも存在し、『[[平家物語]]』にも[[白河天皇|白河法皇]]の落胤という説があるとして、巻第六「祇園女御」に[[祇園女御]]が生んだ子が男子ならば[[平忠盛]]に授け、女子ならば自分が引き取るという、同様の逸話が述べられている。
 
また続けて、先例として天智天皇と鎌足の話が述べられているが、ここでは天皇の子とされているのは不比等ではなく[[定恵]]である(『多武峯略記』には、定恵は孝徳天皇の落胤とする説を載せている)。