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'''脱解尼師今'''(だっかい にしきん、タルヘ イサコミ)は、[[新羅]]の第4代の王(在位:[[57年]] - 80年)で、姓は[[昔 (姓)|昔]](ソク)、名は脱解(タルヘ)。'''吐解尼師今'''(とかい にしきん、{{lang|ko|토해 이사금}}、トヘ・イサコム)とも記される。第2代の[[南解次次雄]]の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
 
== 出自 ==
脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、出生地を日本列島内に所在すると見る向きが多く、[[丹波国]]、[[但馬国]]、[[肥後国]][[玉名郡]]、[[周防国]][[佐波郡 (山口県)|佐波郡]]などに比定する説があり、[[上垣外憲一]]は、神話である以上、他系統の伝承が混ざっているだろうと述べた上で、脱解は丹波国で玉作りをしていた王で、交易ルートを経て新羅にたどり着いたというのが脱解神話の骨子であるとし、神話の詳細な虚実は措くとしても、昔氏は倭国と交易していた氏族だと推測できるとした。
 
このほかに 『[[三国遺事]]』の龍城国を[[アイヌ]]の部族国家とするアイヌ系説もある<ref>{{Cite news|url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/01/11/0200000000AKR20170111049700371.HTML|title=이희용의 글로벌시대 귀화 성씨의 어제와 오늘|newspaper=[[聯合ニュース]]|publisher=|date=2017-01-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170716054537/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/01/11/0200000000AKR20170111049700371.HTML|archivedate=2017年7月16日}}</ref>。
 
新羅の王子である[[アメノヒボコ]]は子とされる。アメノヒボコは多婆那国の推定地とされる[[丹波国]]、[[但馬国]]に上陸しており、若狭湾にある新羅神社には、アメノヒボコが父の母国を探し日本に渡ったとされる伝承も残されている。
 
== 即位まで(誕生説話) ==
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[[倭国]]の東北一千里のところにある多婆那国<ref>『[[三国遺事]]』では脱解の出身地は多婆那国ではなく龍城国とされる。</ref>で、その王が女人国(不明)の王女を妻に迎えて王妃とし、妊娠してから7年の後に大きな卵を生んだ。王は王妃に向かって、人でありながら卵を生むというのは不吉であり、卵を捨て去るように言った。しかし王妃は卵を捨てることに忍びず、卵を絹に包んで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。<ref>「初其國王 娶女國王女爲妻 有娠七年 乃生大卵 王曰 人而生卵不祥也 宜棄之 其女不忍 以帛裹卵並寶物置於(木へんに賣)中 浮於海」</ref>やがて箱は[[伽耶#駕洛国(金官伽耶)|金官国]]に流れ着いたが、その国の人々は怪しんで箱を引き上げようとはしなかった。箱はさらに流れて、[[辰韓]]の阿珍浦([[慶尚北道]][[慶州市]])の浜辺に打ち上げられた。そこで老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。このとき、新羅の[[赫居世居西干]]の39年([[紀元前19年]])であったという。老婆がその男の子を育てると、成長するにしたがって風格が優れ、知識が人並みならぬものになった。長じて、第2代南解次次雄5年([[8年]])に南解次次雄の娘を娶り、[[10年]]には[[新羅#官位制度|大輔]]の位について軍事・国政を委任された。南解次次雄が死去したときに[[儒理尼師今]]に王位を譲られかけたが、「賢者は歯の数が多い」という当時の風説を元に餅を噛んで歯型の数を比べ、儒理尼師今に王位を継がせた。儒理尼師今が57年10月に死去したときには、王(儒理尼師今)の遺命に従って脱解が王位についた。
 
== 姓名の由来 ==
『三国遺事』によるとはじめ姓名がわからなかったので、箱が流れ着いたときに鵲([[カササギ]])がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした、という。
 
== 治世 ==
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在位24年にして80年8月に死去し、首都金城(慶州市)の北壌井丘に葬られた。
 
== 姓名の由来 ==
『三国遺事』によるとはじめ姓名がわからなかったので、箱が流れ着いたときに鵲([[カササギ]])がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした、という。
 
== 出自 ==
脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、出生地を日本列島内に所在すると見る向きが多く、[[丹波国]]、[[但馬国]]、[[肥後国]][[玉名郡]]、[[周防国]][[佐波郡 (山口県)|佐波郡]]などに比定する説があり、[[上垣外憲一]]は、神話である以上、他系統の伝承が混ざっているだろうと述べた上で、脱解は丹波国で玉作りをしていた王で、交易ルートを経て新羅にたどり着いたというのが脱解神話の骨子であるとし、神話の詳細な虚実は措くとしても、昔氏は倭国と交易していた氏族だと推測できるとした。
 
このほかに 『[[三国遺事]]』の龍城国を[[アイヌ]]の部族国家とするアイヌ系説もある<ref>{{Cite news|url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/01/11/0200000000AKR20170111049700371.HTML|title=이희용의 글로벌시대 귀화 성씨의 어제와 오늘|newspaper=[[聯合ニュース]]|publisher=|date=2017-01-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170716054537/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/01/11/0200000000AKR20170111049700371.HTML|archivedate=2017年7月16日}}</ref>。
 
新羅の王子である[[アメノヒボコ]]は子とされる。アメノヒボコは多婆那国の推定地とされる[[丹波国]]、[[但馬国]]に上陸しており、若狭湾にある新羅神社には、アメノヒボコが父の母国を探し日本に渡ったとされる伝承も残されている。
 
== 脚注 ==