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大正時代を通し、九州の考古学界は中山ひとりによってリードされていたともいえる状態であったが、昭和に入って九州帝大を定年退官する頃には、考古学の分野で順次後進が育ち、また遺跡調査方法の主流も[[発掘調査]]へと移り変わっていた。そのような中、『考古学雑誌』に毎号のように論文を投稿していたことから、「中山の個人雑誌みたいだ」という批判が東京の学者の間で沸いた。これを耳にした中山は、[[1932年]](昭和7年)の第22巻第6号を最後に同誌への論文発表をやめ<ref name="f">山本博「表面採集」(『考古学ジャーナル』第102号、[[ニューサイエンス社]]、1974年)</ref>、考古学研究の一線から退いてしまった。それ以後は、もっぱら自宅に近くの浜辺へ釣りに出かける日々が続き、来客があっても「近頃は魚釣りばっかりやっているので」と答え、考古学については語ろうとしなかった<ref name="f"/>。中山は福岡医科大学着任以来この地をこよなく愛しており、同じく九州にゆかりの[[仙厓義梵]]に魅了された森彦とともに、絶筆後も東京や京都には戻らず福岡に留まった。
 
[[太平洋戦争]]が終わると、[[古希]]を過ぎていた中山は俄かに研究活動を再開する。考古学転向直後から取り組んだ金印研究の集大成である「金印物語」を執筆するかたわら、押しかけ入門してきた復員兵の[[原田大六]]に知識を伝授する日々を過ごした<ref name="c"/>。しかし、名誉教授としての恩給以外に収入源を持たなかったこの時期の中山は、戦後の経済混乱によって深刻な貧困に陥る。顔は栄養失調で腫れ上がり、生活ぶりも「ちり紙の代わりに新聞紙で鼻をかみ、その紙も乾かしてまた使う」「煙草の吸いかすをもみほぐし、煙管でまた吸う」といった有様だった。それでも中山本人は「生活程度を以前そのころの十分の一以下に引下げればエエ」と笑って過ごしていたという<ref name="e"/>。中山の出土品コレクションと兄森彦の美術品コレクションで半ば博物館の様相を呈していた<ref>川上貴子 「中山森彦博士の生涯と仙厓収集」(『[https://hdl.handle.net/2324/13538 中山森彦と仙厓展 図録]』九州大学附属図書館、2008年)pp7-9</ref>福岡市[[荒戸 (福岡市)|荒戸]]の約500坪の邸宅<ref>現在、福岡市によって邸宅跡地に解説板が設置されている。[http://www.city.fukuoka.lg.jp/chuo/index.html 福岡市中央区公式サイト]「[http://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/torikumi/setsumeiban.html 中央区歴史と文化の説明板]」 2011年5月30日閲覧</ref>は、それらコレクションの多くとともに人手に渡り、かつて使用人の宿舎としていた建物の6畳の自室で、研究も食事も睡眠も全て完結する生活を送った<ref name="c"/><ref name="e"/>。前述した郭沫若の来日に際し、郭は中山宅への訪問を熱望したが、中山のあまりの困窮ぶりから郭を招いた[[日本学術会議]]は当惑し、結局売り渡した旧宅を借りて対面を果たした<ref name="e"/>。
 
中山は感染事故から間一髪で生還したことをきっかけに「いつ死ぬ身か分からず、家族が残されてはかわいそう」という理由で独身のままであった。軍籍にあった森彦も同様の理由で生涯独身であり、妹の小春を含めた独身三兄妹で終生同居生活を送っていた。中山が死の床に就いたときには森彦もまた隣室で病に伏しており、妹の小春は自ら70歳を過ぎて90歳と84歳の兄二人を看病しなければならない、今日で言う「[[老老介護]]」の状況で、この様子を目撃した弟子のひとりは「偉大な学者の最後がこれでいったいいいのだろうか」と憤っている<ref name="e"/>。
 
[[1956年]](昭和31年)4月29日、肺炎に肋膜炎を併発した中山は自宅で息を引き取った。「わしの目の黒いうちに書き上げる。これは悲願だ」と死の直前まで執筆をつづけていた「金印物語」はついに未完のままとなったうえ、原稿も死後に散逸した<ref name="e"/>。
 
中山の最後の言葉は「骨格は九大の解剖学教室へ、組織は病理学教室へ寄贈してくれ。そこで私は永遠に生きている」であったという。この遺言によって中山の遺体は九州大学医学部へ[[献体]]され、死の翌日に解剖された<ref name="e"/>。その後、全身骨格標本となって保管されていた遺骨は、2010年より同学部病理学教室が設置した「人体・病理ミュージアム」においてガラスケースに安置され、毎年秋ごろに期間限定で一般公開されている<ref>[http://www.med.kyushu-u.ac.jp/index.php 九州大学医学部公式サイト] 「[http://www.med.kyushu-u.ac.jp/app/modules/information/detail.php?i=41&c=1&s=60&k= 人体・病理ミュージアム一般公開 (11/10 ~11/13)]」、「[http://www.med.kyushu-u.ac.jp/app/modules/information/detail.php?i=474&c=1 第2回人体・病理ミュージアム一般公開 11/11-12開催]」 2011年11月6日閲覧。ただし、一般公開時の参観には予約を要する。</ref>。