削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m とかんりい
6行目:
ベ平連で市民活動家として活動しながら[[共産主義者同盟赤軍派|関西ブント]]の関西労働者学園<ref>[http://www.geocities.jp/liberationsya/b-rekisi3.pdf 新左翼―ブントの歴史年表1961-1965]</ref>に於いて[[竹本信弘|滝田修]]、[[藤本進治]]らに師事し、とりわけ藤本の「認識論」及び[[毛沢東]]の「[[実践論]]」、「[[矛盾論]]」を自らの思想信条と定めた<ref name=waka>『若松孝二と赤軍レッド・アーミー』 原渕勝仁著、世界書院、2016年7月、p126</ref>。[[1972年]](昭和47年)、[[檜森孝雄]]らのオルグを受け<ref name=g2>[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0_Zkahy_OLMJ:g2.kodansha.co.jp/10955/11396/14240.html+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp『 丸岡修「戦士からの遺言状』第4回、講談社G2、高山文彦]</ref>、同年4月に日本を出国、テルアビブ空港乱射事件の[[犯人]]らとベイルート郊外で[[アラブ世界|アラブ]]・[[ゲリラ闘争|ゲリラ]]の訓練所で[[軍事訓練]]を受けた後に所在不明となっていた<ref>「丸岡の実家など捜索 暗号の手紙を押収」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月8日夕刊、3版、11面</ref>。同年5月の[[テルアビブ空港乱射事件]]には参加しなかったが、[[殺人罪|殺人]][[共犯]]で[[指名手配]]となった。丸岡も日本赤軍メンバーとして[[1973年]](昭和48年)の[[ドバイ日航機ハイジャック事件]]、[[1977年]](昭和52年)の[[ダッカ日航機ハイジャック事件]]に主導的立場で関与したとして[[国際手配]]を受けた。
 
[[1987年]](昭和62年)[[11月21日]]、丸岡は[[東京]]で[[日本の警察|警察]]に他人名義の偽造[[旅券]]を所持していたことから[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref>{{Cite news |title=ダッカ事件の丸岡修受刑者が死亡  元日本赤軍幹部 服役先で |newspaper=日本経済新聞 |date=2011-05-29 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG29006_Z20C11A5000000/ |accessdate=2020-02-11}}</ref>。入国前に複数国の情報機関から丸岡らしき男が日本に向かうという情報が寄せられており、そのうちの一つの情報は丸岡が[[中国]]・[[北京]]で[[よど号ハイジャック事件]]のリーダー[[田宮高麿]]と接触した、という具体的なものだった<ref>[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:UERqVzlMlGkJ:https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/131217/plt13121710590008-n1.html+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 【再び、拉致を追う】よど号犯、日本赤軍まで…「点」を「線」にしたエアメール] [[産経新聞]]、2013年3月27日 </ref><ref>[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:tBf-TNA8UcYJ:www.sukuukai.jp/report/20130620/20130620_08.html+&cd=10&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 「よど号犯による拉致事件を考える  東京連続集会7373」全記録] 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会</ref>。[[沖縄県]]在住のスナック経営者名義のパスポートを持っていたが<ref name=pass3>帰国者の裁判を考える会会報『ザ・パスポート』第3号、1989年4月1日</ref>、[[指紋]]の照合で本人であることが確認される。
 
この逮捕によって、丸岡が国内と[[東南アジア]]に合法・非合法両方の日本赤軍の支援組織を作ろうとしていたこと、沖縄県内の協力者の存在からフィリピンの[[泉水博]]の潜伏先が割り出された。そして[[金日成]]の指示で翌年に迫った[[1988年ソウルオリンピック|ソウルオリンピック]]の妨害工作をするために[[ソウル特別市|ソウル]]行きを計画していたことが明らかになる<ref>{{Cite news |和書 |title= |newspaper=朝日新聞 (朝刊) |date=1987-12-06 |page=}}</ref>。1987年(昭和62年)6月にフィリピン人名義の偽造旅券で日本に潜入する前にマドリードで盗難に遭った元京都市議の旅券を基にした偽造旅券でタイやシンガポール、フィリピン、中国のほか、ヨーロッパ諸国など合わせて十か国を渡り歩いていたこと、東京で逮捕される直前の1987年11月にオーストリア・ウィーンに潜入していたことが1988年8月に判明した<ref> {{Cite news |title=日本赤軍、盗難旅券を組織的使用  坂東ら3人を確認  欧州や東南アジアに出没 |newspaper=読売新聞 |date=1988-08-19 |page=}}</ref><ref> {{Cite news |title=日本赤軍・坂東のオーストリア入国を確認  盗難の旅券を使う |newspaper=読売新聞 |date=1988-08-24 |page=}}</ref>。公安警察によると、丸岡は日本赤軍の非公然支援組織の一部とともに皇族を誘拐して、三菱重工爆破テロ事件を起こして死刑が確定した[[大道寺将司]]らを獄中から奪還するのが目的だったと判断している<ref> {{Cite news |和書 |title=日本赤軍・丸岡、日本潜入の目的を解明  皇族を誘拐→大道寺奪還 |newspaper=読売新聞 |date=1988-06-18 |page=}}</ref>。
 
ドバイ・ダッカの両[[ハイジャック]]事件に対する[[航空機の強取等の処罰に関する法律|ハイジャック防止法]]違反と、偽造旅券で帰国したとする[[旅券法]]違反の罪に問われ、[[1993年]](平成5年)12月、[[無期懲役]]の[[判決 (日本法)|判決]]を受けた。
14行目:
[[1997年]](平成9年)4月に[[控訴]]を、[[2000年]](平成13年)3月に[[上告]]をそれぞれ[[棄却]]されて無期懲役が確定。当初は[[宮城刑務所]]で服役した。
 
『[[読売新聞]]』[[2002年]](平成12年)[[1)1月27日]]付の記事「若王子さん事件 日本赤軍の影」において「[[三井物産マニラ支店長誘拐事件]]の際に[[犯人]]側に渡された[[身代金]]と丸岡の所持していた[[紙幣]]の番号が一致した」などと報じられた。丸岡は[[名誉毀損]]で[[民事訴訟]]に起こし、[[2007年]](平成19年)1月19日に[[東京地方裁判所|東京地裁]]の[[三代川三千代]]裁判長は証拠不十分として[[読売新聞社]]に105万円の賠償支払いを命じた。2007年(平成19年)6月28日、控訴審の[[東京高等裁判所|東京高裁]]で[[吉戒修一]]裁判長は一審判決を破棄し、新聞記事を真実と認め、丸岡の名誉毀損による請求を退けた。
 
[[クアラルンプール事件]]で実行犯として関与したと疑われていたが、同事件では[[起訴]]されていない。
25行目:
 
== その他 ==
日本赤軍メンバーの[[岡本公三]]の話によれば、[[テルアビブ空港乱射事件]]は当初の計画では丸岡を含めた4人でおこなう予定であったが、丸岡が別行動をとったために3人で襲撃したと供述している。同様のことは本人も[[重信房子]]の[[公判]]に於いて、[[奥平剛士]]からの参加要請に対し、「そんな話は聞いていない。準備していないから一年後であれば応じられる」と断った、と認めている<ref name=waka />。奥平はそれに対し「(奥平らが)[[テルアビブ]]での作戦に成功したら、(丸岡が)日本でパルチザン部隊を作るように」と告げ、約束を交わしたが、事件の直後すぐに[[日本]]の[[公安警察|公安当局]]にマークされた丸岡は日本への帰国を諦め、重信らに合流した<ref name=g2/>。[[2011年]][[10月19日]]<ref>[http://michiwonokai.blog134.fc2.com/blog-entry-13.html 旧・拡張型心筋症の丸岡修さんに生きる途をの会(関西)]</ref>、丸岡の遺骨は[[レバノン]]・[[ベイルート]]にあるパレスチナ・コマンドや[[ガッサーン・カナファーニー]]など著名な活動家が埋葬されている墓地にある、乱射事件に参加した奥平、[[安田安之]]、事件の計画に関与した檜森孝雄が眠る墓に納骨された<ref>[http://www.palwatch.org/main.aspx?fi=157&doc_id=14040 Fatah glorifies Japanese and Palestinian terrorists]</ref>。
 
== 著書 ==
49行目:
{{Communism-stub}}
{{日本赤軍}}
 
{{デフォルトソート:まるおか おさむ}}
[[Category:日本赤軍の人物]]