「交響曲第5番 (マーラー)」の版間の差分

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| audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=D6BAP5JNDHc 5.Rondo-Finale] - Jahja Ling指揮Curtis Symphony Orchestraによる演奏。Curtis Institute of Music(カーティス音楽院)公式YouTube。
}}
Rondo-Finale. Allegro giocoso [[ロンド]] - [[フィナーレ]]。[[アレグロ]]・楽しげに ニ長調 2分の2拍子。自由なソナタ形式。
 
第4楽章の余韻が残る中、ホルン、ファゴット、クラリネットが牧歌的に掛け合う。このファゴットの音型(譜例11)は、『[[少年の魔法の角笛]]』内の一曲「高邁なる知性への賛美」からの引用である。
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== 第5交響曲とアルマ ==
*マーラーが[[アルマ・マーラー|アルマ]]と出会ったのは、交響曲第5番の作曲中である。[[ウィレム・メンゲルベルク|メンゲルベルク]]によると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。アルマがメンゲルベルクに宛てた書簡によると、マーラーは次の詩を残した。「Wie ich dich liebe, Du meine Sonne, ich kann mit Worten Dir's nicht sagen. Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen und meine Liebe. (私がどれほどあなたを愛しているか、我が太陽よ、それは言葉では表せない。ただ我が願いと、そして愛を告げることができるだけだ。)」
 
*アルマの回想によれば、アルマは第5交響曲を初めて聞いた際、よい点を褒めつつも、フィナーレのコラールについて「聖歌風で退屈」と評した。マーラーが「[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]も同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えた。マーラーはこのときカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に惹かれていたとアルマは述べている。
 
*アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。
*初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめに[[ウィーンフィルハーモニー管弦楽団]]によるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。
 
*初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめに[[ウィーンフィル]]によるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。
 
*マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。
 
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== 外部リンク ==
* [http://imslp.org/wiki/Symphony_No.5_%28Mahler%2C_Gustav%29 マーラーの交響曲第5番の総譜 (PDF)] - IMSLP: The International Music Score Library Project
 
 
{{マーラーの交響曲}}