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1958年の高校野球宮城県大会では、波山はリリーフとして活躍し、同年[[8月3日]]に行なわれた[[仙台市立仙台商業高等学校|仙台商業]]との決勝戦では、初回無死二、三塁のピンチで外野からマウンドに上がりピンチを切り抜けると、外野守備についていた3回二死一、二塁のピンチでも再び登板し、このピンチを切り抜けて試合終了まで投げきり、勝利投手となった<ref>鈴木、16ページ。</ref>。[[第40回全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]では、[[8月9日]]の対[[長崎南山中学校・高等学校|長崎南山]]戦で17奪三振の快投を見せ、勝利投手となった<ref>鈴木、19ページ。</ref>。チームは2回戦で[[福井県立敦賀高等学校|敦賀高校]]に敗れた。
 
{{by|1959年}}、東北高校は春期東北大会で優勝し、夏の宮城県予選でも2試合の[[ノーヒットノーラン]]を記録するなど5試合全てを完封で優勝。二年連続の[[第41回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]出場を決めた<ref>鈴木、72ページ。</ref>。[[8月12日]]の一回戦、[[茨城県]]の[[茨城県立下館第一高等学校・附属中学校|下館第一]]戦で、波山は初回無死から登板し、10奪三振を奪い勝利に貢献した<ref>鈴木、83ページ。</ref>。[[8月14日]]の二回戦、[[岡山県]]の[[岡山県立倉敷工業高等学校|倉敷工業]]との対戦でも3回から登板し、10奪三振を奪い勝ち投手となった<ref>鈴木、85ページ。</ref>。[[8月16日]]の[[日本大学第二高等学校|日大二高]]との準々決勝では4回からリリーフし、先発の峰岸と合わせて16個の三振を奪った<ref>鈴木、86ページ。</ref>。[[8月18日]]の準決勝では[[栃木県立宇都宮工業高等学校|宇都宮工業]]と対戦したが、2回からリリーフした波山を打線が援護できず、延長10回の裏、波山の二塁悪送球の間に走者が生還しサヨナラ負けを喫した<ref>鈴木、98ページ。</ref>。なお、この年の高校野球日本代表米国遠征メンバーには、[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]のため米国入国が困難であるという理由で波山は選出されなかった<ref>鈴木、101ページ。</ref>。
 
===プロ入り後===