「ナタリア・ドゥジンスカヤ」の版間の差分

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m →‎生涯: 更新ー>再上演 手を加えたという意味もあるが、上演決定の意味が強い
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ドゥジンスカヤは、ロシア以外に米国、日本、ポーランド、フィンランドのバレエ学校で教えた。<br>
 
ドゥジンスカヤは、現代のバレエ芸術と演劇のレパートリーの発展に多大な貢献をし、多くの国内初演作品で最初のダンサーになった。同時に、彼女は伝統の保存において、マリインスキー劇場と[[ボリショイ劇場]]で多くの古典的作品の更新再上演に貢献した。 彼女は国際バレエコンクールの審査員の仕事に積極的に参加した。<br>
 
R.[[ヌレーエフ]]がワガノワ・バレエ・アカデミー卒業時に故郷のバレエ団に配属されるところを、ドゥジンスカヤがパートナーに選びマリインスキーバレエ団(当時[[キーロフ・バレエ|キーロフバレエ]])に留めたのは有名な逸話で、映画「ホワイト・クロウ」[https://en.wikipedia.org/wiki/The_White_Crow The_White_Crow](2017年制作)にも登場する。<br>