「ミトラダテス2世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
国道266号 (会話 | 投稿記録)
m {{仮リンク2|貢納国|en|Tributary state}}
41行目:
こうしてアルメニアと同盟を組んだことにより、アルメニア王国の脅威がなくなったため、ミトラダデス2世は[[セレウコス朝]]侵攻に専念することができた。パルティア軍の侵攻を受けたセレウコス朝の[[アンティオコス10世エウセベス・フィロパトル]]は[[デメトリウス3世エウカエロス]]と[[プトレマイオス8世ラティルス]]とともに応戦したが、その戦いで落命した。<ref>デベボイス 1993,p42</ref>
 
[[紀元前92年]]、[[共和政ローマ]]の[[カッパドキア]]総督[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]がアリオバルザネスをカッパドキアの王に復位させると、ローマ国境に迫ったパルティア軍はローマと交渉するために、オロバズスという者を使者としてスッラのもとへ送った。しかし、オロバズスは友好的な軍事同盟を要求したはずであったが、ローマ側からは{{仮リンク2|貢納国|en|Tributary state}}になる申し出ととらえられてしまい。パルティアはローマの従属国となってしまう。後に大失態を犯したオロバズスはパルティアの威信を傷つけたという罪で処刑された。<ref>デベボイス 1993,p42-43</ref>
 
[[紀元前88年]]、セレウコス朝内でデメトリウス3世エウカエロスと[[フィリッポス1世フィラデルフォス|フィリッポス・エピファネス・フィラデルフォス]]とで内紛がおこり、フィリッポスはベロエア([[アレッポ]])で包囲された。そのときベロエアの君主ストラトは親パルティア派である[[アラブ人]]の暴君アジーズ(おそらくエメサすなわちホムスの統治者)とミトラダテス・シナケス(メソポタミア北部のパルティア人総督)に助けを求め、逆にデメトリウス3世エウカエロスを包囲して降伏させた。紀元前87年、捕虜となったデメトリウス3世エウカエロスはミトラダデス2世の面前に引き出されたが、ミトラダデス2世は彼を厚遇した。ミトラダデス2世はその後まもなく亡くなった。当時、ミトラダデス2世が統治していた領土はイランと[[クルディスタン]]と[[メソポタミア]]北部であり、バビロニアは総督であったゴタルゼス1世が独立して統治していた。<ref>デベボイス 1993,p44</ref>