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'''ネ・ウィン(Ne Win [[1911年]]-[[2002年]])'''は、[[ビルミャン]]の政治家、軍人。独立運動の功労者であり、独立後、軍参謀総長、革命評議会議長、[[大統領]]、[[ビルマ社会主義計画党]](BSPP)議長を務めたが[[独裁者]]として非難された。
==生涯 ==
1911年生まれ、大学中退後、郵便局員を経て「われらビルミャン人連盟」(ドバマ協会もしくはタキン党)に加入する。[[援蒋ルート]]壊滅のためにビルミャンに目を付けた日本軍と接触。1941年2月に[[アウンサン]]率いる青年活動家グループ「三十人の志士」の一人として[[南機関]]に[[海南島]]で過酷な軍事訓練を受ける。彼らは12月に[[バンコク]]に移動しビルマ独立義勇軍を結成。ネ・ウィンは、国内撹乱を目的とするゲリラ班の班長として1942年1月に日本軍とともにビルマに進軍した。日本の敗勢が明らかになった1945年3月に対日反乱を起こし日本軍を攻撃する。
 
イギリスの復帰を経て1948年ビルミャンは独立するが、その直後から反乱が続いた。このとき国軍の最高指揮官(国防相)だったネ・ウィンは、政府を守り抜き1962年[[クーデター]]を決行して政権を握った。ビルミャン独自の[[社会主義]]政策を採り、革命評議会議長を経て1974年から7年後の辞職まで大統領になった。辞職後もBSPP議長を務め国政に君臨した。この期間にビルミャンは、世界の[[最貧国]]に転落した。
 
1988年に国民の不満が爆発した民主化要求デモが発生。責任を取って党議長を辞任したが、その時の演説では'''「軍は国民に銃口を向ける」'''と民主化勢力を牽制した。辞任後も隠然たる影響力を持ち晩年は、それまでの外交における中立の姿勢にもかかわらずアメリカを批判していた。