「千葉県の貝塚の一覧」の版間の差分

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|縄文土器(条痕文系)。県立スタジアムとは菊間地区に建設[[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯]]に向けて計画されるはずだたが実現しなかったサッカー施設。今の消防学校やスポレクパーク敷地。千葉県消防学校敷地東側。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.93-94">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.93-94</ref>
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|菊間手永貝塚
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|馬蹄形貝塚。縄文土器(堀之内,加曽利B,安行)。石斧,石剣など石製品。土偶。82体の遺骨が狭い範囲に集中して埋葬されている墓域の存在で知られ、また縄文晩期の異形土器も出土している。弥生土器(宮ノ台,久ヶ原)も出土。近隣にも様々な時代の遺跡がある。村田川沿いの水道局処理施設内湮滅。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.104">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.104</ref><ref>千葉県史料研究財団編集『千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)』シリーズ千葉県史No.9、千葉県発行、2000年、pp.774-775</ref><ref>[https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/isekimore20.htm 市原市埋蔵文化財調査センター・菊間手永貝塚の縄文時代集団墓地への招待]2020年9月26日閲覧</ref>
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|旧石器,縄文,弥生,古墳,奈良・平安の幅広い時代のさまざまな遺構遺物が広範囲に出土。遺跡群の中にある貝塚は千葉労災病院の北200mあたり
|<ref name="分布地図3改訂版 p.106"/>
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|下切付貝塚
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|点列環状貝塚。縄文土器(阿玉台,加曽利E)。130m×80mの環状に多数の住居内貝塚など。貝層を含まないものを含めて竪穴住居が300軒ほど。イワシなど魚骨。イノシシなど獣骨。石斧など石製品。骨角器。埋葬人骨46体。ちはら台駅の南から南西側200m付近。ニュータウン建設に伴いほぼ湮滅。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.113"/><ref>千葉県史料研究財団編集『千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)』シリーズ千葉県史No.9、千葉県発行、2000年、pp.592-597</ref>
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|地点貝塚。縄文から古墳,奈良,平安,中世までの遺構や遺物が出土。椎津城跡から南西200m付近
|<ref name="分布地図3改訂版 p.62">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.62</ref>
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|堂谷貝塚
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|地点貝塚。縄文土器。土師器。貝層の厚さは1mを超える。読みは「わんめ」貝塚、別称は「どーやつ」貝塚。市原市立海上小学校から南東700m付近、堰の西側台地上。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.70">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.70</ref><ref>[https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note7.htm 市原市埋蔵文化財センター・三和・東海地区の縄文遺跡]2020年9月23日閲覧</ref>
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|根田祇園原貝塚
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|馬蹄形貝塚。縄文土器(鵜ヶ島台,茅山,称名寺,堀之内,加曽利B,曽谷,安行,大洞)。土偶。石斧石棒など石製品。骨鏃。弥生土器。古代の土師器。同所からは縄文早期や後期,晩期、弥生、古代の遺物も出土しているが貝層の形成期は主に縄文後期。縄文後期の住居跡が51軒、埋葬人骨75体など。奈良時代の[[上総国分尼寺跡|上総国分尼寺]]建設時などに貝層の多くが剥ぎ取られたと考えられているがものの130m×100m規模の馬蹄形貝塚と考えられている。国分寺中央公園から国分尼寺跡地周辺。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.87">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.87</ref><ref>千葉県史料研究財団編集『千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)』シリーズ千葉県史No.9、千葉県発行、2000年、pp.768-769</ref><ref>[http://www.city.ichihara.lg.jp/maibun/isekimore39.htm 市原市埋蔵文化財センター・祇園原貝塚の里海]2020年9月25日閲覧</ref>
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|地点貝塚。縄文土器(阿玉台,加曽利E,堀之内)、弥生土器(久ヶ原)、古代の土師器。石鏃,石斧など石製品。遺跡としては住居跡が竪穴建物83棟みつかっており、そのうち縄文期は6軒、弥生時代終末期~古墳時代前期初頭44棟、奈良・平安時代32棟、不明1棟。しかし貝塚としては縄文後期堀之内式期と奈良・平安時代の住居内貝層がそれぞれ1.2点見つかっているだけの小規模なものである。貝層を伴うものでは無いが、この遺跡の弥生時代終末期から古墳時代前期初頭の竪穴住居跡では関東外の土器、とくに北陸系土器が見つかっており他地域との交流を示すものと注目されている。湮滅。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.90">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.90</ref><ref>[http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/houkokusyo/c010minaminakadai/c010minaminakadai_01.pdf 市原市教育委員会『市原市南中台遺跡・荒久遺跡A地点』市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書第10集、2009年、p.4-12,185-188]2020年9月25日閲覧</ref><ref>[https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/isekimore17.htm 市原市埋蔵文化財センター・土器が動く南中台遺跡]2020年9月25日閲覧</ref>
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|馬蹄形貝塚。縄文土器(稲荷台,花輪台,加曽利E,称名寺,堀之内,曽谷,安行,前浦,千網,大洞,荒海),弥生土器(久ヶ原)。径150m近くの馬蹄形貝塚で貝層の厚さは2mにも及ぶ大型の貝塚。縄文早期や弥生時代の遺物も出ているが貝塚の主な形成期は縄文中期から晩期まで。土偶など土製品。土器片錘。石棒,石剣など石製品。獣骨。埋葬人骨50体。国分寺台地区開発のためあたって約10年間をかけて貝塚のほとんどを発掘調査し詳細が判明しているがそのため湮滅。読みは「さいはら」貝塚。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.91">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.91</ref><ref>千葉県史料研究財団編集『千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)』シリーズ千葉県史No.9、千葉県発行、2000年、pp.776-781</ref><ref>[https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/kokomadewakatta/1/saihirokaidukatenn2.htm 市原市埋蔵文化財センター・特集西広貝塚展2]2020年9月25日閲覧</ref>
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|天神台遺跡
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|旧石器から縄文、弥生、古墳、奈良平安、中世までの複合遺跡。弥生時代から古墳時代の310基の墳墓や平安時代の堀立式建物群などが見つかっている。貝塚としては縄文時代早期から前期前葉を中心に住居、住居外貝層が計58見つかり竪穴建物も60軒見つかっている。縄文土器(茅山下層,関山)。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.91"/><ref>[https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/houkokusyo/c031suwadaitenjindaiII/c031suwadaitenjindaiII_t2.pdf 市原市教育委員会編集『市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡II』2015年、巻末要約]2020年9月25日閲覧</ref><ref>[https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/houkokusyo/c025tenjindaiI/c025tenjindaiI2_1.pdf 市原市教育委員会編集『市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡Ⅰ』2013年、p.797]2020年9月25日閲覧</ref>
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|海保野口遺跡
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|地点貝塚。縄文土器(条痕文,加曽利E)。同所からは旧石器時代の石器や古墳時代以降の幅広い年代の遺構・遺物が出土。貝層は加曽利E期の小貝塚。館山自動車道下り市原SAから南南西500m付近。
|<ref name="分布地図3改訂版 p.59">財団法人千葉県文化財センター編集・発行『千葉県埋蔵文化財分布地図(3)改訂版 千葉市・市原市・長生地区』、1999年、p.59</ref><ref>[http://133.242.45.200/maibun/isekifile144.html 市原市埋蔵文化財調査センター・海保野口遺跡]2020年9月22日閲覧</ref>
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