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===発見の経緯===
{{File clip|茨城県行方市井上周辺(1962年5月21日撮影、KT622-C7-24).jpg|width=350|45|68|45|15|w=3759|h=3976|1962年5月21日に国土地理院が撮影した井上長者館跡周辺の空中写真の切り抜き。遺跡発見の経緯となった写真は茨城県農地課によって撮影されたものであり{{Sfn|玉造町遺跡調査会|1990|p=3}}、本写真は遺跡の発見とは無関係である点に留意されたい。}}
遺跡は、[[1962年]](昭和37年)にこの台地の[[地籍調査]]のために空撮された航空写真によって発見された{{Sfn|玉造町遺跡調査会|1990|p=3}}。写真には、[[茨城県道50号水戸神栖線]]西側にある畑の地表面に、クロップマークないしソイルマークらしき南北約100メートル・東西約100メートルの二重正方形のラインが、主軸を北東側にやや傾けて、はっきりと写っていた{{Sfn|玉造町遺跡調査会|1990|p=3}}。これは現在の遺跡調査における航空写真による遺跡判読の好例としても引用されている{{Sfn|文化庁|2010|pp=89-90}}。なおこのようなクロップマークから遺構の位置が確認された遺跡の他の類例としては、[[宮城県]][[多賀城市]]南宮に所在し[[室町時代]]後期の[[留守氏]]居館と推定されている「内館館跡(うちだてたてあと)」などがある{{Sfn|多賀城市埋蔵文化財調査センター|2016|pp=22-29}}。