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'''霊歌'''(れいか)、'''スピリチュアル'''(英: spiritual)は、[[アメリカ合衆国]]で誕生した宗教的な[[民謡]] (folksong) の一つあり、奴隷状態に置かれていた南部の[[アフリカ系アメリカ人]]の共同体の中から誕生した固有の宗教歌である。これらの歌は十八世紀後半の数十年間から1860年代の制度的奴隷制廃止のあいだに黒人の共同体の中ではぐくまれ、アメリカ民謡の最も幅広い重要な音楽形態のひとつに発展した<ref>{{Cite web|title=Spirituals {{!}} Ritual and Worship {{!}} Musical Styles {{!}} Articles and Essays {{!}} The Library of Congress Celebrates the Songs of America {{!}} Digital Collections {{!}} Library of Congress|url=https://www.loc.gov/collections/songs-of-america/articles-and-essays/musical-styles/ritual-and-worship/spirituals|website=Library of Congress, Washington, D.C. 20540 USA|accessdate=2020-11-07}}</ref>。
'''霊歌'''(れいか)、'''スピリチュアル'''(英: spiritual)は、[[アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史|アメリカの黒人奴隷]]に[[キリスト教]]が広まり、[[白人]]の讃美歌などの宗教歌、教会音楽、クラシック音楽と、[[アフリカ]]黒人の音楽的感性が融合して生まれた'''黒人霊歌'''を指す場合が多い。{{要出典範囲|黒人霊歌よりもゴスペル音楽の方が、よりアフリカ黒人の音楽性が強く表現されている。|date=2020年9月}}。黒人霊歌は「'''黒人が関与した(と考えられる)宗教歌'''」{{要出典|date=2020年9月}}を指している。アメリカの霊歌には黒人霊歌以外に、[[プロテスタント]]の宗教歌を起源とする'''白人霊歌'''(ホワイト・スピリチュアル)があり<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-84667#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 スピリチュアル]</ref>、黒人霊歌・白人霊歌は英語の歌である。もう一つ[[ペンシルヴェニア・ダッチ]](ドイツ語方言)による霊歌などがある<ref name="桜井" />。
 
== 概要:由来 ==
[[Image:Methodist camp meeting (1819 engraving).jpg|thumb|right|250px|[[メソジスト]]の野外礼拝(1819年)]]
黒人霊歌は「[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]」よりも歴史が古く、そのルーツをアメリカの[[奴隷制]]時代にもつ。そこでは、奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられたアフリカの人々の宗教的音楽的伝統が、強要された[[アメリカ合衆国南部|アメリカ南部]]の[[福音主義]]的キリスト教の文化と接触することによって、新たな独自のアフリカ系アメリカの音楽伝統の基層が形成されることとなった<ref name=":0">{{Cite book|edition=Third edition|title=The Norton Anthology of African American literature|url=https://www.worldcat.org/oclc/866563833|location=New York|isbn=978-0-393-92369-8|oclc=866563833|others=Gates, Henry Louis, Jr.,, Smith, Valerie, 1956-}}</ref>。南部プランテーション農場の黒人奴隷の共同体において、チャンツや手拍子を伴いシャッフルというステップを踏みながらの円形のダンス「リングシャウト」、即興で歌うリーダーとそれに呼応するコーラスが相互に歌われるという[[コール アンド レスポンス|コール・アンド・レスポンス]]も 、奴隷による野外礼拝の様式となった。18世紀後半から19世紀初頭の[[第二次大覚醒]]の興隆で、奴隷のあいだでさらに宗教歌を伴ったリバイバルの集会は一般的なものとなった<ref>{{Cite web|title=Slavery and the Making of America . The Slave Experience: Religion {{!}} PBS|url=https://www.thirteen.org/wnet/slavery/experience/religion/history2.html|website=www.thirteen.org|accessdate=2020-11-07}}</ref>。
霊歌は、西洋の[[賛美歌]]より広い意味で使われており<ref name="桜井">[https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10970/1/ronso1090300010.pdf 黒人霊歌とその起源論争] 桜井雅人</ref>、霊歌を賛美歌に含める考えと、賛美歌としては取り扱わない考えとがある。黒人霊歌は「[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]」よりも歴史が古い。作曲者としては、古くはイギリスの白人聖職者、ドクター・アイザック・ワッツ<ref>「R&B・ソウルの世界」p.278</ref>や、後には「スウィング・ロウ・スウィート・チャリオット」を作曲したWallis Willisらが知られている<ref>http://www.loc.gov/item/ihas.200197495/</ref>。黒人霊歌は南部在住者と、南部から[[シカゴ]]などの北部の都市部へ移住した者によって歌われた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E9%9C%8A%E6%AD%8C-64065 黒人霊歌 こくじんれいか black spirituals - コトバンク・ブリタニカ] および [https://kotobank.jp/word/%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0-64919#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2 ゴスペル・ソング gospel song の(2)-コトバンク・ブリタニカ]。</ref>
 
[[スピリチュアル]] (的) という語は、新約聖書の「[[エフェソの信徒への手紙]]」(エペソ人への手紙)、「[[コロサイの信徒への手紙]]」(コロサイ人への手紙)にある「霊の歌」(spiritual song)に由来する。
 
{{Quotation|キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと'''霊の歌'''とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。 |[[s:コロサイ人への手紙(口語訳)|コロサイ人への手紙(口語訳)]]}}
 
「spiritual song」は、伝統的に教会で使われた[[詩編]]歌や[[賛美歌]]のテキストと区別するために、18~19世紀半ばの讃美歌集で使われた<ref name="桜井" />。これらは民謡ではなく、白人・黒人の区別もしていない<ref name="桜井" />。また19世紀初頭には、[[キャンプ・ミーティング|野外礼拝]]用讃美歌も「spiritual song」と呼ばれるようになった<ref name="桜井" />。
 
有名なスピリチュアルには、[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民]][[チョクトー]]の解放奴隷であった[[ウォレス・ウィリス]] ([[:en:Wallace_Willis|Wallace Willis]]) の「スウィング・ロー、スウィング・チャリオット」や「スティール・アウェイ・トゥ・ジーザス」、また奴隷として生まれ、初の黒人作曲家の一人となったヘンリー・バーレイ ([[:en:Harry_Burleigh|Henry Burleigh]]) の「ゴー・ダウン・モーゼズ」や「ディープ・リヴァー」など、豊かな黒人霊歌のストックをベースに数多くの名曲が誕生し、西洋のクラシック音楽や白人の民謡にも影響を与えた。
現在のように「spiritual」が、黒人霊歌を指すようになったのは、(明確にはわからないが)[[南北戦争]]後のことであり、それまでは、アンセム、賛美歌、霊歌、ジュビリー・ソング、奴隷の歌、奴隷小屋・プランテーションの歌、ゴスペル、プランテーション讃美歌など様々に呼ばれた<ref name="桜井" />。1960年代には、黒人霊歌を指す言葉として、spiritualが一般的になった<ref name="桜井" />。歌集の標題にspiritual songではなくspiritualを用いた本は、ジョンソン兄弟の『アメリカ黒人霊歌集』(1925年)が最初である<ref name="桜井" />。
 
== コードとしての黒人霊歌 ==
== 詳細 ==
[[W・E・B・デュボイス|W.E.B. デュボイス]] が記すように、アフリカ系アメリカの伝統は音楽の要素を抜きに語ることができないものであったが<ref>W・E・B・デュボイス『黒人のたましい』木島始、鮫島重俊、黄寅秀訳 岩波文庫 1992</ref>、奴隷所有者たちは奴隷の共同体の自主的な活動を警戒し、アフリカの言葉の使用を禁じ、集会を禁じ、ドラムの使用を禁じた<ref>{{Cite web|title=International Day of Remembrance of the Victims of Slavery and the Transatlantic Slave Trade, 25 March 2009|url=https://www.un.org/en/events/slaveryremembranceday/2009/drums.shtml|website=www.un.org|accessdate=2020-11-07|language=EN}}</ref>。また、人々を解放せよと[[旧約聖書]]の「[[出エジプト記|出エジプト]]」を歌う「ゴー・ダウン・モーゼズ」に至っては、そのあまりに明確なメッセージ性のため、その歌を歌うことを禁じる奴隷所有者もいたという<ref name=":0" />。1869年の記録によると、逃亡奴隷を支援する組織「地下鉄道」の「車掌」で、「黒人のモーゼ」とよばれた[[ハリエット・タブマン]]は、この歌を[[メリーランド州|メリーランド]]からの逃亡の'''合図'''として使ったと記されている<ref>Bradford, Sarah Hopkins (1869). ''[https://docsouth.unc.edu/neh/bradford/bradford.html Scenes in the Life of Harriet Tubman]''. Auburn, NY</ref>。また、タブマンと同様、19世紀の[[奴隷制度廃止運動|奴隷制度廃止論者]]で元奴隷だった[[フレデリック・ダグラス]]は、1855年の著作の中で、過酷な奴隷時代に霊歌を歌うことは、宗教上の意味を超えた、もう一つの意味があったことを記している。{{Quotation|我々が「ああ、カナン、甘美なカナン。私はカナンの地に向かう」と繰り返し歌う時、洞察鋭いものであるならば、そこに「天国に向かうこと」以上の意味を感じ取ったかもしれない。私たちはカナンに到達すること、つまり北部とは私たちのカナンの地を意味したのだ。|フレデリック・ダグラス "My Bondage and My Freedom," p. 278 (1855)|}}厳しい宗教弾圧のもとで[[黙示|黙示文学]]が発達したように、自由な表現が厳しく制限された奴隷制下にあったアフリカ系アメリカの[[口承文学|口承]]伝統においては、リファレンシャルな言語が発達する。20世紀初頭に発展する[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル・ミュージック]]が[[新約聖書]]の[[福音書|福音]]に重点を置きがちであるのとは明らかに異なり、黒人霊歌は[[旧約聖書]]あるいは[[終末論]]的なテーマを扱うことが多いのはそのためであると考えられる。
フィールドハラー・ミュージックは、Levee Camp Holler・ミュージックとも呼ばれ、19世紀に記述された、初期のアフリカ系アメリカ人音楽である。 野外奉仕者たちはブルース、スピリチュアル、そして後にリズムとブルースの基礎を築いた。 フィールドホルダー、叫び声と奴隷の所有者、そして後には綿花畑の農作業者、刑務所のチェーン・ギャング、鉄道労働者、ターペンタイン・キャンプなどで働くクロッパーは、アフリカ人が多かった。
 
例えば「スティール・アウェイ・トゥ・ジーザス」において、「盗み足で去る」という表現は、宗教的な意味においては、死んで天国に行くことを意味するが、ダグラスの言う、「天国に向かうこと」以上の意味でいうならば、奴隷所有者の家財としての自分の存在を「盗んで」自由の地に去っていくことを意味する。天国に行くことは、死ぬことを意味するのではなく、地上の束縛から解き放たれるという意味において、奴隷制からの解放を意味する、こうした黒人霊歌の歌詞のダブルミーニング (二重の意味) に注目して黒人霊歌を理解しようとする試みも[[ヴァナキュラー文化]]研究の一環として出てきている。
== 黒人霊歌 ==
[[File:Fisk Jubilee Singers 1882.jpg|thumb|300px|[[フィスク・ジュビリー・シンガーズ]](1882年)]]
黒人霊歌は、[[アフリカ大陸]]から[[アメリカ大陸]]に強制連行され、[[奴隷]]状態に置かれた黒人たちから生まれた。生活の中で育まれ口頭で伝えられる歌、すなわち[[民謡]]であった<ref name="桜井" />。現在黒人霊歌と呼ばれるものはそれほど均質ではなく、黒人霊歌とそれ以外の一部の霊歌の区別は明瞭ではない<ref name="桜井" />。
 
== 二十世紀と黒人霊歌 ==
歌集や[[アルバム]]には、奴隷制以後の芸術歌謡や[[ゴスペル]]と重複する歌もあり、「'''黒人が関与した(と考えられる)宗教的な歌'''」という共通点が読みとれる<ref name="桜井" />。名称が規定している民族性(アフロ・アメリカン)と宗教性(キリスト教)が共通する特徴として挙げられる。成立の時期・条件として奴隷制度を重視するなら、「奴隷の歌」または「[[プランテーション]]・ソング」の一種とされ、そのように呼ばれてきた<ref name="桜井" />。
黒人霊歌に込められた解放のテーマは、1960年代[[アフリカ系アメリカ人公民権運動|公民権運動]]のアンセムとして再び重要な役割を果たした。「アイズ・オン・ザ・プライズ」や「ああ、フリーダム!」など、当時の「フリーダムソング」の多くは、古い霊歌からアレンジされたものであり、またセルマの行進、ワシントン大行進、キング牧師の葬儀など、[[マヘリア・ジャクソン|マハリア・ジャクソン]]らの歌う黒人霊歌は公民権運動の絆をより強固なものにした<ref>{{Cite web|title=Mahalia Jackson: Voice Of The Civil Rights Movement|url=https://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=123498527|website=NPR.org|accessdate=2020-11-07|language=en}}</ref>。
 
== 黒人霊歌と白人霊歌 ==
黒人霊歌の起源は、アフリカ民謡を起源のひとつとする説、白人の民間宗教歌が黒人に影響を与えて発生したという白人音楽起源論などが、激しい論争を繰り広げてきたが、アフリカとアメリカ南部白人文化両方の影響があると考えられている<ref>[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/17-2/RitsIILCS_17.2pp.149-165WELLS.pdf 歌はどこから - 黒人霊歌資料にアメリカの意識を追う - ] ウェルズ恵子</ref>。
[[File:Fisk Jubilee Singers 1882.jpg|thumb|300px|[[フィスク・ジュビリー・シンガーズ]](1882年)]]
現在のように「spiritual」が、黒人霊歌を指すようになったのは、(明確にはわからないが)[[南北戦争]]後のことであり、それまでは、アンセム、賛美歌、霊歌、ジュビリー・ソング、奴隷の歌、奴隷小屋・プランテーションの歌、ゴスペル、プランテーション讃美歌など様々に呼ばれた<ref name="桜井">[https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10970/1/ronso1090300010.pdf 黒人霊歌とその起源論争] 桜井雅人</ref>。1960年代には、黒人霊歌を指す言葉として、spiritualが一般的になった<ref name="桜井" />。歌集の標題にspiritual songではなくspiritualを用いた本は、ジョンソン兄弟の『アメリカ黒人霊歌集』(1925年)が最初である<ref name="桜井" />。
 
黒人霊歌の起源は、アフリカ民謡を起源のひとつとする説、白人の民間宗教歌が黒人に影響を与えて発生したという白人音楽起源論などが、激しい論争を繰り広げてきたが、アフリカとアメリカ南部白人文化両方の影響があると考えられている<ref>[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/17-2/RitsIILCS_17.2pp.149-165WELLS.pdf 歌はどこから - 黒人霊歌資料にアメリカの意識を追う - ] ウェルズ恵子</ref>。
 
黒人霊歌はかつて「Negro Spirituals(ニグロ・スピリチュアル)」と呼ばれていたが、黒人を指す「Negro(ニグロ)」という言葉に差別的な意味を持つようになった現在では、単に「Spirituals」あるいは、「African-American Spirituals」と呼ばれる。1930年代ごろにトーマス・ドーシーやブラインド・ウィリー・ジョンソン<ref>盲目のゴスペル・ブルース・シンガー</ref>らが登場したことで、霊歌の時代は終わり、「ゴスペル」の時代へと変わっていった。
 
フィールドハラー・ミュージックは、Levee Camp Holler・ミュージックとも呼ばれ、19世紀に記述された、初期のアフリカ系アメリカ人音楽である。 野外奉仕者たちはブルース、スピリチュアル、そして後にリズムとブルースの基礎を築いた。 フィールドホルダー、叫び声と奴隷の所有者、そして後には綿花畑の農作業者、刑務所のチェーン・ギャング、鉄道労働者、ターペンタイン・キャンプなどで働くクロッパーは、アフリカ人が多かった。
 
== 主なシンガー/グループ ==
* [[フィスク・ジュビリロブソガーズ]]
*[[ポール・ロブソン]]
*ロジェー・ワーグナー合唱団
 
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|description="[[:en:The Gospel Train|The Gospel Train]]"は1872年、フィスク・ジュビリー・シンガーズによって発表された。これはアメリカ海軍軍バンドのSea Chanters のアンサンブルによる演奏である。
}}
 
「黒人霊歌」
=== 詳細音源 ===
 
* [https://www.loc.gov/search/?q=spiritual+songs&fa=subject%3Aspirituals+%28songs%29 米国議会図書館の音源]
 
=== 曲目 ===
* 「時には母のない子のように」<ref>http://www.negrospirituals.com/songs/sometimes_i_fell.htm</ref>
* 「[[スウィング・ロー、スウィート・チャリオット]]」([[:en:Swing Low, Sweet Chariot|Swing Low, Sweet Chariot]])