「カールステン・ニーブール」の版間の差分

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帰国後、報告書の執筆を行った。[[1772年]]に「アラビアの記録」(Beschreibung von Arabien)を出版し、[[1774年]]と1778年に『アラビアおよびその周辺地域への旅行記』(Reisebeschreibung von Arabien und anderen umliegenden Ländern)を出版した。とくに1778年のものはペルセポリスで発見した楔形文字碑文の正確な模写を載せており、楔形文字の解読にとくに重要であった。ニーブール以前は、楔形文字は単なる飾りと考えられることも多く、解読はなされていなかった。ニーブールは、碑文が三種類の楔形文字で書かれていることを明らかにし、第一類・第二類・第三類に分けた。このうち第一類([[古代ペルシア楔形文字]])がアルファベットであることにも気づいていた<ref>高津・関根(1974) p.101</ref>。また楔形文字が左から右へ読むことも示した。
 
ニーブールはまた、エジプトの[[ヒエログリフ]]についても正確な模写を提供した。ニーブールはヒエログリフのうち字形の簡単なものはアルファベット式の文字だと言っており、また[[古代エジプト文字の解読|ヒエログリフの解読]]に[[コプト語]]を利用すべきだと考えていた。これは当時としては非常に進んだ考えであった<ref>高津・関根(1974) pp.34-35</ref>。
 
報告書の4冊めは、ニーブールの没後の1837年に、娘によって出版された。