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== 歴史 ==
=== 植民地時代 ===
プエブラは、1531年にCuetlaxcoapan谷に、既存の先住民都市を基盤とせず、スペイン人の都市として設立された。公式の設立年月日は1531年4月16日であるが、絶え間ない川の氾濫により、この最初の定住は失敗に終わった。サンフランシスコ川、アトヤック川、アルセセカ川などの川が、プエブラ谷を流れている。この谷は、先住民の都市国家と接していて、植民都市の[[チョル]][[トラスカラ王国|トラスカラ]]、フエゴチンゴ、テペカへと変わり、それらの植民都市には多くの先住民が住んでいた。市の創設後、この谷は[[メキシコシティ]]や[[ベラクルス]]と、[[カリブ海]]岸の港との間の主要ルートとなり、[[スペイン]]への接続ポイントとなった。
プエブラは、[[ヌエバ・エスパーニャ]]の主要な港と首都の中間地点にあり、多くの先住民族を抱え、スペイン人の入植者を数多く抱えていたため、ヌエバ・エスパーニャの歴史の中で重要な都市と地域であった。プエブラは、商業用農産物を首都に供給し、地域の繊維生産の中心となった。プエブラはメキシコの北部、特にサカテカス周辺の銀鉱地帯と結びついていた。
人口の大部分はサンフランシスコ川の西岸から高地に移住した。元の定住地にはいくつかの家族が残って、アルト・デ・サンフランシスコ(Alto de San Francisco)と改名された。スペイン王室は、[[エンコミエンダ制]]が濫用され、多くのスペイン人が土地を失っていたため、エンコミエンダ制を採用しない都市として、プエブラの設立を支援した。プエブラは1558年に紋章を、1558年には「ノーブル・リーナル」(高貴で忠実な都市)の称号を、1561年には「ムイ・ノーブル・イ・リーアル・シウダード」(非常に高貴で忠実な都市)の称号を、1576年に「ムイ・ノーブル・ミュイ・リアル・シウダー」(非常に高貴で非常に忠実な都市)の称号を得た。