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[[1682年]]、[[コンデ公]]に仕えていたシャルル・ダロワイヨは、レセプションで供した[[パン]]が認められて、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]のもとに招かれた。その後、ダロワイヨ一族の兄弟4世代が、[[ヴェルサイユ宮殿]]で王に仕え、当時のフランスの最高の美食の称号であった“Officier de bouche”(食膳係)という名誉ある職名を得たエリート集団の一員だった。こうしてダロワイヨの兄弟やその息子達は貴族に出世し、国王の前で剣を持つ事を許された。この栄誉ある職名のおかげで、ダロワイヨの一族は王の食事に参加し、また、王の公式な儀式に招かれ、料理と食膳に関する研究に参加するようになった。
その後、[[フランス革命]]が起き、社会は壊滅して、ダロワイヨは食膳係の地位を追われることになる。シャルルの子孫であるジャン・バティスト・ダロワイヨは来たるべき社会の変革と動向を感じとって、ダロワイヨ一族の物語を守り続け、[[1802年]]にパリで最初の「美食の館 ダロワイヨ」を創業した。彼は、美食に関する全ての活動をまとめ、当時の貴族が行っていたのと同様に、新興の[[ブルジョワジー]]も家庭でもパーティを開けるように、調理済みの食品を提供した。彼は、パリのフォブール・サント
== オペラ:ダロワイヨで最も有名なケーキ ==
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