「国鉄EF71形電気機関車」の版間の差分

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国鉄分割民営化時には1を除いた全機が[[福島総合運輸区|福島運転所]](旧・福島機関区)所属のまま[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に承継。引き続きED78形とともに運用され、1988年の8月末から9月初旬には東北本線が岩手県内で不通になったことで奥羽本線を迂回した「北斗星」をED78形と重連で牽引したが<ref>『レイルマガジン』1988年11月号、P.126</ref>、客車夜行列車の統廃合や国鉄末期の荷物列車廃止、福島 - 山形間を経由する貨物列車の削減{{Refnest|group="注"|1960-70年代には10往復以上貨物列車が設定され、福島 - 米沢間ではジークライト工場からの出荷があった板谷駅に発着する列車も存在したが<ref>『レイル』1983年春の号、P100</ref>、1984年2月ダイヤ改正では福島 - 山形間で計5往復に縮小<ref>『レイルマガジン』1984年8月号、P.14-15</ref>、1986年11月ダイヤ改正では漆山 - 秋田間で貨物列車自体が全廃、山形への専用貨物列車は多くが仙山線経由に変更されたこともあり臨時を含め3往復(重連運用は1.5往復)にまで削減された<ref>『鉄道ファン』1987年3月号、P.41</ref>。}}などで運用は狭まっており、末期まで残った板谷峠越え普通列車運用では、わずか2・3両ほどの短編成客車列車を牽引するという事態も見られた。なお、JRマークはED77・ED78と同様、引退まで貼り付けされなかった。
 
[[1990年]]より福島 - 山形間[[標準軌]]化による[[山形新幹線]]建設工事が始まり、8月31日には福島 - 米沢間の単線化に伴い定期夜行列車での運用が消滅、以後も残った普通列車と貨物列車(山形 - [[漆山駅 (山形県)|漆山]]間)、[[臨時列車]]などの運用<ref group="注">1991年2月には陸羽東線内での工事により奥羽本線経由で運転された下り「あけぼの」を、同年8月には臨時急行「ざおう」を運用の都合から福島 - [[新庄駅|新庄]]間を通して牽引した。</ref>も[[1991年]]8月26日をもって終了した。一部は東北本線で臨時運用に投入されたが、一般区間に適応しない特殊設計であるがゆえに他線区への転用が難しく、[[1993年]]までに全車が除籍され形式消滅した。
 
運用終了後、10両(2 - 8・10・14・15号機)が福島運転所構内に留置されていたが、1993年4月から順次[[郡山総合車両センター|郡山工場]]へ福島運転所所属のED75形の牽引で2両ずつ回送され、解体された<ref name="RM120_133">[[#レイルマガジン120|『レイルマガジン』通巻120号、p.133]]</ref>。
 
== 保存後解体 ==
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** 1991年11月号 No.98 P.129、133
** 1992年9月号 No.108 P.15 date=2018年8月|*誤供述多し。
** {{Cite journal|和書|author=三谷有幸 |title=EF71続々と廃車回送 |journal=レイルマガジン |year=1993 |month=9 |issue=120 |publisher=ネコ・パブリッシング |pages=133 |ref = レイルマガジン120}}
 
* ネコ・パブリッシング『国鉄時代』2010年11月号 Vol.23 P.69 - 70