「ジョン・カービィ」の版間の差分

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カービィ元ネタ説の記述を修正(出典先のGame Informerの記事内で宮本氏は説を否定している)
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カービィが扱った訴訟で最も有名なものは、1984年の「[[ユニバーサル・シティ・スタジオ対任天堂裁判]]」(通称ドンキーコング裁判)であり、マッジ・ローズのパートナーとして関わった。当時大ヒットした任天堂のアーケードゲーム『[[ドンキーコング]]』について、ユニバーサルは、自社が権利を保有する映画『[[キングコング]]』の無断使用であるとして訴訟を起こし、カービィは任天堂側の弁護を担当した。カービィは、ユニバーサルが以前、[[RKO|RKO社]]との訴訟に勝訴していたことを示すこと(当時のユニバーサルにはキャラクターや基本シナリオの所有権を主張する法的権利が無かった)によって、任天堂を画期的な勝利に導いた<ref>For an account of the ''Donkey Kong'' litigation, see [https://www.mariowiki.com/The_%27Shroom:Issue_LXII/A_History_of_Video_Games "The 'Shroom:Issue LXII/A History of Video Games"].</ref>。この勝訴によってカービィは、アメリカ市場におけるビデオゲーム業界の黎明期に「任天堂を救った」と考えられている<ref>{{Cite web|url=https://www.usgamer.net/articles/john-kirby-the-lawyer-that-saved-nintendo-dies-at-79|title=John Kirby, the Lawyer that Saved Nintendo, Dies at 79|last=Oxford|first=Nadia|date=October 4, 2019|website=USgamer|access-date=October 4, 2019}}</ref>。
 
任天堂は感謝の印として、カービィに「ドンキーコング」と名付けられた3万ドルのヨットと、「ドンキーコング」をヨットの名前につけられる世界的な独占的な権利を与えた<ref>{{cite book|last=Sheff|first=David|year=1999|title=Game Over: Press Start to Continue: The Maturing of Mario|publisher=GamePress| location=Wilton, Connecticut|isbn=}}</ref>。また、カービィによるジョークかもしれないが、ゲーム『[[星のカービィ]]』のソフトがカービィに送られたとも言われている<ref>{{cite web|url=https://www.nsidr.com/archive/hal-laboratory-company-profile/5 |title=HAL Laboratory: Company Profile |publisher=N-Sider.com |accessdate=August 15, 2012}}</ref>。なお、[[星のカービィシリーズ]]の主人公[[カービィ]]の名前はジョン・カービィが由来とされることもあるが、任天堂の[[宮本茂]]は「名前の選択時に部分的に関係しているのは事実だが、彼にちなんで名づけたものではない」と説を否定している<ref>{{cite web|url=https://www.gameinformer.com/b/features/archive/2011/06/17/miyamoto-wii-amp-wii-u-are-colored-white-for-all-ages-appeal.aspx|title=Miyamoto Talks Wii U, Zelda, And Nintendo's Past|last=Turi|first=Tim|website=Game Informer|date=June 17, 2011|accessdate=October 26, 2018}}</ref>。
 
== 私生活 ==