「高鈴山」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 脱字かな?
41行目:
高鈴山北面の宮田川上流の[[結晶片岩]]地域には、[[黄鉄鉱]]や[[黄銅鉱]]を産出する含銅[[硫化鉄鉱床]]があり、江戸時代には赤沢銅山(日立村)といわれていた。
 
明治になり1905年に、[[久原房之助]]が赤沢銅山を再興し、日本屈指の銅鉱山の日立鉱山に発展した。本山地区が採掘の中心で、高鈴山地下では、本坑・赤沢・高鈴鉱床があった。本山地区を中心に、鉱山集落が発達し、鉄道も引かれ、日立市の鉱工業発展の発祥の地となった。太平洋戦争から戦後にかけて最盛期を迎え、7,000余人がこの山中に住んでいたが、1981年に、資源枯渇により日立鉱山は閉山した。1929年以降は日本鉱業株式会社(現:[[ジャパンエナジーJX金属]])の経営下にあった。
 
鉱山閉山後、日立鉱山の鉄道や施設は撤去され、集落も消滅し、元の自然の山に戻っている。本山地区の再開発による、[http://www.greenful.jp/outdoor/camp07/index.html 日立市もとやま自然の村]は休憩・宿泊施設の整った市民憩いの広場である。鉱山本坑跡には、[http://www.shinnikko-hd.co.jp/corporate/museum/guide/main_building/index.php 日鉱記念館]が建てられ、鉱山の在りし日の姿を展示している。