「南波照間島」の版間の差分
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== 概要 ==
琉球王府に八重山諸島の諸事を報告した文書である『八重山島年来記』には、1648年に波照間島平田村の農民40~50人が重税から逃れるために大波照間に渡ったという記述が残っている{{sfn|清水|2015|p=124}}<ref>「石垣市史叢書13 八重山島年来記」p28 石垣市 平成11年2月13日発行</ref><ref>{{Cite web|title=前史(永正16年~明治44年)|url=http://www.town.taketomi.lg.jp/administration/ayumi/1531133731/|website=竹富町役場|accessdate=2020-11-20|language=ja}}</ref>。また、波照間島には、ヤグ村のアカマリという男が、税を取り立てに来た役人の船を奪い、村人を連れて南波照間島に向かったとの伝承がある。
波照間島を含む八重山諸島では、[[琉球王国]]時代の[[1637年]]から[[1903年]]までの間、[[人頭税]]という過酷な税が課されていたので、『八重山島年来記』が伝える年代はこの課税の期間と整合する{{sfn|清水|2015|p=124}}。
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現在のところ、南波照間島が想像上の島であるのか実在する島であるのか、実在する島であるとすればどの島のことであるのかは明らかでない{{sfn|清水|2015|p=124}}。また、『八重山島年来記』に記された伝承が事実であるのか、事実であるとすれば、島民達は実在する島を目指したのか、伝説上の未知の島を目指したのか、そしてその島に着くことができたのかのかも不明である。南波照間島が実在する島であるとの説を採る場合、その比定地には、[[台湾]]{{sfn|清水|2015|p=124}}、台湾南東沖の[[緑島郷|緑島]](火焼島)や[[蘭嶼|蘭嶼島]]{{sfn|清水|2015|p=124}}、[[フィリピン]]の[[ルソン島]]{{sfn|清水|2015|p=124}}等の諸説がある。
== 南波照間島をモデルとしたフィクション ==
* 『[[街道をゆく]]』第6巻「[[沖縄・先島への道]]」 - [[司馬遼太郎]]による紀行文{{sfn|清水|2015|p=124}}。1974年より[[週刊朝日]]に連載され、翌年に単行本化された。冒頭の節で南波照間島について触れられており、その考察もなされている。
* パイパティローマ - [[中江裕司]]監督による1994年の[[映画]]。
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== 外部リンク ==
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* [http://yaeyamaocean.com/camp/nenraiki.htm 八重山島年来記] - 私設かってに観光協会(ポイント総合企画)
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