「九州」の版間の差分
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=== 「九州」の由来 ===
{{See also|九州王朝説#九州}}
<!--可能性についての言及者の情報や、出典元(何の書籍)の情報が不明です。出典提示をお願いします(2018年11月、一旦コメントアウト)--[[8世紀]]初めに[[王維]]が[[阿倍仲麻呂]]の送別の宴で君の帰る、「九州とはどこに合ってどれほど遠いのか?」と詩に歌っており当時、既に九州が地方名として使われていた可能性がある<ref>「送祕書晁監還日本國 積水不可極 安知滄海東 九州何處遠 萬里若乘空 向國惟看日 歸帆但風 鰲身映天黑 魚眼射波紅 鄕樹扶桑外 主人孤島中 別離方異域 音信若爲通」「秘書晁監の日本国に還るを送る 積水 極む可からず 安んぞ 滄海の東を知らんや 九州 何れの處か遠き 万里 空に乗ずるが若し 国に向かって惟だ日を看 帰帆は但だ風に信すのみ 鰲身は天に映じて黒く 魚眼は波を射て紅なり 鄕樹は扶桑の外 主人は孤島の中 別離 方に域を異にす 音信 若爲ぞ 通ぜんや」</ref>。-->[[16世紀]]の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]を描いた[[軍記物語]]として知られる『[[陰徳太平記]]』([[享保]]2年([[1717年]]出版)序に、「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような[[近世]]の書物においては、明確に「'''九州'''」という名称を見出すことができる
=== 令制国上の「九州」 ===
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