「川越久保町駅」の版間の差分

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== 概要 ==
[[川越電気鉄道]](その後[[西武大宮線]])の川越側[[終着駅|ターミナル]]に当たる電停である。当初こそ[[プラットホーム]]のみといういかにも「電停」というべき構造であったが、のちに駅前広場と駅舎が整備され、広い構内を持つれっきとした駅となった。
 
駅舎は木造平屋でホームの頭端部に位置しており、駅舎入口横には売店が併設されていた。ホームは駅舎に向かって1面2線の構造となっていた。ただし後述する通り[[ループ線]]構造という特殊な構内配線のため、南側の1線のみが乗降に用いられていた。ホームの端に小さな一人便所があった<ref>東京電力川越支社(川越火力発電所跡地)の看板『川越火力発電所と川越電気鉄道の軌跡 昭和2年頃の久保町駅構内と駅前図』</ref>。
 
内部の詳細は不明であるが公文書には「[[金庫]]」「日付スタンプ」など[[乗車券]]を販売する駅でなければ存在し得ないような備品が記録されており、駅務室を備えある程度の[[駅員]]が常駐する[[有人駅]]であったと考えられる。
 
当時の社員の言によると、[[待合室]]には木製のベンチがあり、入り口を入ると右手奥はホームに続く[[改札|改札口]]、左手には[[出札]]窓口があり、駅務室の入り口は改札を入ったホーム側にあった。金庫については出札係の机の横、北側の壁に南を向いてあり、その金庫の前、つまり部屋の右奥が[[駅長]]の机であったそうだ。
 
構内は[[車両基地|車庫]]が存在し、大宮線の運行拠点であった。ただし全ての車両がここに戻っていたことから、[[1927年]]([[昭和]]2年)[[8月28日]]の[[終電]]後に原因不明の失火によって車両もろとも車庫が焼失、当時保有していた全11両の車両を廃車して[[王子電気軌道]](現在の[[都電荒川線]])から車両を譲り受けざるを得なくなるという災難にも遭っている<ref>「ちんちん電車があったころ 昭和初年の川越電車・西武大宮線」『小江戸ものがたり 第十二号』川越むかし工房、2009年10月30日</ref>。
 
なお、[[大正]]末頃の写真で見ると駅前広場には広告や周辺地図の[[看板]]類、[[電話ボックス]]などの存在が確認され、[[中心市街地]]から少し離れたところにありながらも[[川越市駅|川越町駅]]などより市街地に近かったため、ターミナルとしてある程度栄えていたことがうかがえる。
 
{{quotation|「'''西武鉄道大宮線'''」
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{{quotation|「'''西武鉄道大宮線'''」
[[File:Kawagoe Kubomachi Station 2.jpg|thumb|270px]]
昭和二年に久保町車庫が火災となり、電動車の大部分が焼失したので、一時運転を休止したことがある。その後新造車を入れたり東京市電の中古車を買い取って再開した。最盛期の車両数は十七両と記録されているが、最後まで[[ボギー台車|ボギー]]車はなかったようで、ほかに貸車は有蓋、無蓋合せて数両を持っていた。これは昭和十五年頃の川越久保町車庫。|岡村一郎著『写真集 明治大正昭和 川越』ふるさとの想い出 より抜粋<ref name="kofu"/>}}
 
== ループ線 ==