「日産・パトロール」の版間の差分
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[[1951年]]([[昭和]]26年)9月、[[プロトタイプ|試作車]]が完成。同年に行われた[[警察予備隊]]の要請による小型トラックの[[競争入札]]に加わり、[[カイザー=フレーザー|ウィリス]][[ジープ]]の[[ライセンス]]生産車である[[三菱・ジープ]]に敗れ、その後、[[民生用|民需]]の道に活路を見出した経緯は[[トヨタ・ランドクルーザー|トヨタ・ジープBJ型]](以下BJ型)と同様である。
車両の構成もBJ型と非常に近く、[[フレーム形式 (自動車)#はしご型|はしご形フレーム]]に、前後[[リーフ式サスペンション|リーフ]]・[[車軸懸架|リジッドサスペンション]]と、大型[[貨物自動車|トラック]]用[[直列6気筒]][[ガソリンエンジン]]を組み合わせる手法を採っている。エンジンは3.
駆動系は3ポジション(4WD・ニュートラル・2WD)の[[トランスファー]]を介して動力を分配し、[[プロペラシャフト]]でフロント[[差動装置|デフ]]に伝達する[[四輪駆動#パートタイム式|パートタイム4WD]]で、リアへはトランスファーのメインシャフトと同軸でプロペラシャフトが伸びる、フロントオフセット・リアセンタースルーのドライブレイアウトとなる。[[副変速機]]を省略した構成は、やはり大[[排気量]]で[[トルク]]の大きなエンジンを持つ、BJ型と同様である。この種の車両としては重要となる、[[ウインチ|ウインチング]]などの各種作業に対応するため、[[パワーテイクオフ|PTO]]の装備も可能となっている。
トヨタとの違いはフロント周りで特に顕著で、BJ型は長いエンジンをほぼフロントアクスル後方([[ミッドシップ|フロントミッド]])に収めるが、4W60型ではアクスルにオーバーハングする形を採っており、全長に対する有効スペースは僅かながら大きい。そのため、フロント[[差動装置|デフ]]との干渉を防ぐため、エンジン搭載位置はやや高くなっており、[[オイルパン]]は薄く、フロントデフキャリアにも「逃げ」がある。また、両車のエンジンが直列6気筒であること
フロント周りのデザインは、BJ型が[[フェンダー (自動車)|フェンダー]]上に外付けした[[前照灯]]で[[:en:List of Dodge automobiles#Military trucks carrying the Dodge brand name|ダッジ・ウェポンキャリア]]風であったのに対し、4W60型は[[フロントグリル|ラジエータカバー]]内蔵型でジープMB
主に[[国家地方警察]]に納入された経緯や、[[無線通信|無線]]車が設定されていた点もBJ型と同様である。
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[[1955年]](昭和30年)?には改良型のB型(NB)エンジンを得て、4W61型となる。民間用としてふさわしいデザインへの試行も行われ、エンジンフード中央が一段と高くされたほか、平面であったラジエターカバーが中折れ形になり、[[鍍金|メッキ]]の装飾も加えられた。その見た目から「鉄仮面」のあだ名がつけられたが、これにも[[:en:Willys Jeep Wagon|ジープワゴン]] / [[:en:Willys Jeep Truck|ジープトラック]]の強い影響が見られる。当時、日産と新日国工業はジープの顔を持つ乗用車として異彩を放った[[ダットサン・スリフト]](節約・倹約の意)の生産も行なっており、[[進駐軍]]と共に上陸したジープが日本の工業界に与えた衝撃の大きさがうかがえる。また、フロントシートがセパレートから2 + 1の[[ベンチシート]]となり、[[ダッシュボード (自動車)|インストゥルメントパネル]]の意匠も変更され、[[センターメーター]]となる。
[[1958年]](昭和33年)10月、エンジンの排気量が4.
[[1959年]](昭和34年)、C型の発展型である[[OHV]]4.
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