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{{基礎情報 皇族・貴族
| 名 = 泉皇女
| 各国語表記 =
| 家名・爵位 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[飛鳥時代]] - [[奈良時代]]
| 続柄 = [[天智天皇]]皇女
| 称号生誕 = 不詳
| 全名死没 =
| 死亡日薨去 = [[天平]]6年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[734年]][[3月17日]])
| 身位 = 二品・内親王
| 敬称改名 =
| 身位別名 = 二品・内親王
| お印 = <!-- 日本の皇族のみ -->
| 出生日諡号 = 不明
| 生地戒名 =
| 没地墓所 =
| 死亡日 = [[天平]]6年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[734年]][[3月17日]])
| 位階 = [[品位 (位階)|二品]]
| 没地 =
| 父母 = 父:[[天智天皇]]、母:忍海小竜娘[[色夫古娘]]
| 埋葬日 =
| 兄弟 = [[弘文天皇]]、[[建皇子]]、[[川島皇子]]、[[志貴皇子]]、[[大田皇女]]、[[持統天皇]]、[[御名部皇女]]、[[元明天皇]]、[[山辺皇女]]、[[明日香皇女]]、[[新田部皇女]]、[[大江皇女]]、'''泉皇女'''、[[水主皇女]]、[[天智天皇#系譜|他]]
| 埋葬地 =
| 配偶者1 =
| 子 = =
| 斎宮在位 = [[文武天皇]]5年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]([[701年]][[3月29日]]) - [[慶雲]]3年([[706年]])
| 父親 = [[天智天皇]]
| 特記事項 =
| 母親 = 忍海造色夫古娘
| 役職 = [[斎宮|伊勢斎王]]
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''泉皇女'''(いずみのひめみこ、生年不詳 - [[天平]]6年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[734年]][[3月17日]]))は、[[奈良時代]]の[[皇族]]。[[天智天皇]]の[[皇女]]。母は天智天皇の[[後宮]]の[[女官]]である[[宮人]](めしをみな)、色夫古娘(しこぶこのいらつめ)で、同母兄姉に[[大江皇女]]と[[川島皇子]]がいる。[[斎宮|伊勢斎王]]。
 
== 経歴 ==
[[大宝 (日本)|大宝文武天皇]]5年([[701年]])2月16日に斎宮に[[卜定]]される。翌2年([[702年]])1月17日、新しく設けられた[[斎宮寮#職員|斎宮頭]]([[斎宮寮]]の長官)に、[[従五位下]]であった当麻真人橘が任命された。これ以降、[[斎宮寮|斎宮頭]]には、[[従五位下]]に相当する位の官人が任命されることとなった。[[慶雲]]3年([[706年]])閏1月28日に泉皇女は[[伊勢国|伊勢]]へ下向する。同年の8月5日には、新たに[[田形皇女]]が斎宮に卜定され、泉皇女は退下した。[[霊亀]]元年([[715年]])1月11日に帰京後、[[品位 (位階)|三品]]に叙せられていた泉皇女は、[[封戸]]100戸を加増された。その後、時期は定かではないものの二品に叙せられた。天平6年([[734年]])2月8日に死去。
 
== 血縁 ==