「栗隈王」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2018年8月}}
{{基礎情報 皇族・貴族
| 名 = 栗隈王
| 各国語表記 =
| 家名・爵位 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[飛鳥時代]]
| 続柄 =
| 称号生誕 = 不詳
| 死亡日卒去 = [[天武天皇]]5年([[676年]])6月
| 全名 =
| 身位改名 =
| 敬称別名 = 栗前王
| 続柄諡号 =
| お印 = <!-- 日本の皇族のみ -->
| 尊号 =
| 出生日 = 不明
| 生地戒名 =
| 全名墓所 =
| 死亡日 = 天武天皇5年([[676年]])6月
| 官位 = [[四位]][[兵政官長]]、[[追贈|贈]][[従二位]]
| 没地 =
| 父 = 父:[[難波皇子]]?
| 埋葬日 =
| 埋葬地兄弟 =
| 配偶者1 =
| 子 = [[美努王]]、[[武家王]]
| 特記事項 =
| 父親 = [[難波皇子]]?
| 母親 =
| 役職 = [[筑紫大宰]]
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''栗隈王'''(くりくまのおおきみ、生年不明 - 天武天皇5年([[676年]])6月)は、[[日本]]の[[飛鳥時代]]の[[皇族]]。'''栗前王'''とも書く。旧仮名遣いでの読みは共に「くりくまのおほきみ」。[[敏達天皇]]の孫(曾孫か<ref name=SO>『[[尊卑分脈]]』によると、敏達天皇-難波皇子-大俣王-栗隈王 となる。</ref>)、[[難波皇子]]の子(孫か<ref name=SO />)、[[美努王]]の父で[[橘諸兄]]の祖父にあたる。[[橘氏]]の祖である。筑紫率([[筑紫大宰]])として[[唐 (王朝)|唐]]と[[新羅]]の使者を送迎し、[[672年]]の[[壬申の乱]]では外国への備えを理由に中立を保った。[[675年]]に[[兵政官長]]。贈[[従二位]]。'''栗前王'''とも書く。旧仮名遣いでの読みは共に「くりくまのおほきみ」
 
== 筑紫大宰・率・帥 ==