「1975年の読売ジャイアンツ」の版間の差分

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== 概要 ==
「クリーン・ベースボール」を標榜しユニフォームやコーチ陣を一新して出陣した長嶋巨人だが、開幕前のキャンプでは長嶋監督の記者会見中に主力選手が隣の部屋で[[麻雀]]を始め、また宮崎の新球場は雨で使えないなどの異常事態が起こり、一部の主力選手やコーチが不安を抱き始めた。戦力では前年に引退した[[森祇晶|森昌彦]]、[[黒江透修]]そして長嶋の抜けた穴は大きく、さらに[[王貞治]]がオープン戦終盤に足を故障して出遅れた事も影響し、4月12日には早くも最下位に転落。4月18日に現役大リーガーの[[デービー・ジョンソン|デーブ・ジョンソン]]が入団し、長嶋の後釜として三塁を守ったが本職が二塁手のジョンソンは慣れない三塁守備で調子を崩し、6月には8打席連続三振を喫するなど打撃不振に陥り、13本塁打を放つも打率は.197に終わった。スタメンに復帰した王も本調子にはほど遠く、2年連続三冠王から一転打点王のみにとどまり、13年間守ってきた本塁打王の座を[[阪神タイガース|阪神]]の[[田淵幸一]]に明け渡した。9月には球団史上ワースト([[2017年]]更新)の11連敗を喫するなど苦戦。7月3日の[[中日ドラゴンズ|中日]]戦で主力投手の[[関本四十四]]が[[高木守道]]と乱闘騒ぎを起こし、また長嶋監督の投手起用を週刊誌で批判するハプニングもあった。結局4月以降は一度も最下位から浮上できず、10月10日には球団初となる最下位が決定、10月15日には本拠地の[[後楽園球場]]で[[広島東洋カープ|広島]]に初優勝を決められる屈辱を味わった。チームは優勝の広島に11勝14敗1分と健闘するも2位中日に7勝18敗1分、3位阪神に9勝16敗1分とそれぞれ負け越し3強マッチレースのアシスト役となってしまった。投手陣はエース[[堀内恒夫]]が唯一2桁となる10勝を挙げたものの18敗を喫し、勝ち越したのは8勝7敗の[[横山忠夫]]と1勝0敗のルーキー[[中山俊之]]のみだった<ref>{{Cite web|date=2017-06-21|url=https://ameblo.jp/horiuchi18/entry-12285300576.html|title=1975年「サイカイ」その2|publisher=堀内恒夫オフィシャルブログ「今日もどこかであくたろう」|accessdate=2020-05-08}}</ref>。なお20192020年終了時点においても、この年が巨人軍史上唯一の公式戦最下位である。
 
== チーム成績 ==