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'''ホセ・ガルシア・ニエト''' <ref />( [[1914年|1914]]年[[7月6日]]、[[オビエド]]生まれ−[[マドリード|2001年]][[2月27日]]、[[マドリード]]にて死去)[[スペイン]]の[[詩人]]、[[著作家|作家であり]]、[[セルバンテス賞]]を受賞したうちの一人。ガブリエル・セラヤ 、ブラス・デ・オテロとホセ・イエロとともに、スペイン戦争後の詩的世代。
この項目では、小説家 José García Nietoについて説明します。
 
スペインのサッカー選手については [[:es:José_García-Nieto_Romero|José García Nieto Romero]] をご覧ください。{{Infobox 人物}}
'''ホセ・ガルシア・ニエト''' <ref />( [[1914年|1914]]年[[7月6日]]、[[オビエド]]生まれ−[[マドリード|2001年]][[2月27日]]、[[マドリード]]にて死去)[[スペイン]]の[[詩人]]、[[著作家|作家であり]]、[[セルバンテス賞]]を受賞したうちの一人。ガブリエル・セラヤ 、ブラス・デ・オテロとホセ・イエロとともに、スペイン戦争後の詩的世代。
 
== 経歴 ==
ホセ・ガルシア・ニエトは、1914年7月6日にオビエドのポルトガレテ通りの8番地−現在のメルキアデス・アルバレスの6番地−にホセ・ガルシア・ルエソとマリア・デ・ラ・エンカルナシオン・ニエト・フェルナンデスの息子として生まれた。彼は9歳で父親を亡くし、母親と一緒に[[サラゴサ]]、[[トレド]]、[[マドリード]]などの都市に住み、そこで高校を卒業し、詩を書き始めた。[[スペイン内戦]](1936-1939)が始まった時、彼はチャマルティン・デ・ラ・ロサ市役所の秘書に就いていた。—この市役所は後に[[マドリード市]]役所に合併された。—兵として召集されたが、戦争が終わり、彼は市役所に戻った。精密科学の研究を始めたが、マドリードでジャーナリズムに携わるために研究を断念した。1939年にマドリードに移住し、カフェ・ヒホン(文壇カフェ)の文壇たちと交流を持った。1943年の春には雑誌ガルシラソを創刊した。これはネオガルシラソ的で形式美を重んじる、(新しい抒情詩を目指す)戦後の詩人グループの機関紙である。
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それ以来、彼は文学、特に詩、演劇、スペインの古典作品の翻案や映画の脚本に専念してきた。1950年には”Dama de soledad”でアドナイス賞を、1955年には”Geografía es amor”で [[レアル・アカデミア・エスパニョーラ|王立スペイン語アカデミー]]のファステンラス賞を、そして1951年と1957年に国立文学賞を2度受賞した。1980年にジャーナリズムのマリアーノ・デ・カビア賞を獲得し、少し後の1982年1月28日に(元会員であった)ホセ・マリア・ペマンの「i」の椅子を占める[[レアル・アカデミア・エスパニョーラ|王立スペイン語アカデミー]]の学士院会員のポストに選ばれた。さらに、彼は1987年にはジャーナリズムのゴンザレス・ルアーノ賞を獲得し、1996年には彼の作品全体で[[セルバンテス賞]]を受賞した。
 
彼は雑誌ガルシラソ、そして詩集、スペイン語詩とその続編である''ヒスパニック詩の''ディレクターを務めた。出版した中には、とりわけ次のような作家や詩人がいた。ルイス・ロサレス、レオポルド・パネロ、マリア・ビクトリア・アテンシア、フアン・ホセ・クアドロス、ラモン・デ・ガルシアソル、マヌエル・アルバレス・オルテガ、[[フアン・アントニオ・ビジャカーニャス|ホアン・アントニオ・ビジャカーニャス]]、フアン・ヴァン・ヘイレン、コンチャ・ラゴス、カルロス・ムルシアーノ、フランシスコ・アンブラル、アンジェリーナ・ゲイテル、ホルヘ・テイリア、ホセ・ミゲル・ウランなどである
 
彼の生誕100周年にあたり、[[スペイン国立図書館]]はホセ・ガルシア・ニエトに敬意を表した。この賛辞には、詩人の娘パロマ・ガルシア・ニエト、ヴィクトル・ガルシア・デ・ラ・コンチャ、ホセ・マヌエル・ブレクア、国立図書館アナ・サントス・アランブロの館長が参加した。
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* El cuaderno roto([[1989年|1989]])-prosa-<ref />
 
== 脚注 ==
{| class="wikitable" border="1" cellpadding="5" cellspacing="0" style="border-collapse: collapse; margin:0 auto;"
{{Reflist}}
| width="30%" |前任者:<br /><br />'''[[Camilo José Cela|カミロ・ホセ・セラ]]'''
| width="40%" |'''[[Archivo:Medal_of_the_Miguel_de_Cervantes_Prize.svg|63x63ピクセル]]<br /><br />[[セルバンテス賞]]'''<br /><br />[[1996]]
| width="30%" |後継者:<br /><br />'''[[Guillermo Cabrera Infante|ギジェルモ・カブレラ・インファンテ]]'''
|}
[[Categoría:Wikipedia:Plantilla sucesión con parámetro 1 en blanco]]
 
== 外部リンク ==
 
* ホセガルシアニエトの[http://www.garcianieto.com/ サイト] 。
* [http://cvc.cervantes.es/actcult/garcia_nieto/default.htm ホセガルシアニエト、セルバンテスバーチャルセンター]
* [http://poeticas.es/?p=483 詩的創造をめぐる詩] 。
* [https://www.youtube.com/watch?v=gXDCqOesAq8&list=PL-N1ct2ALL2E9D_BfyrfaMUiw7irl7_qJ&index=12 ホセガルシアニエト] 、1981年、プログラム[[La 2]] ([[テレビシオン・エスパニョーラ|TVE]] )で、ホアキン・''ソレル・''セラーノと共演。
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[[Category:セルバンテス賞受賞者]]</nowiki>