「潘璋」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
49行目:
== 三国志演義 ==
小説『[[三国志演義]]』においては、孫権が呉の国主になった後に集まってきた武将の一人として名が挙がり、孫権の将軍として何回か名前が登場する。江夏攻略戦、赤壁の戦い、南郡攻略戦、濡須口の戦い、皖城攻略戦、関羽討伐戦、夷陵防衛戦に
江夏攻略戦では蘇飛を生け捕らえる。
三江口の戦いでは周瑜の指示で三江口に陣取ることになり凌統と共に第3隊として出陣した。
南郡攻略戦では周瑜の死んだふりに騙された敵は、牛金を先鋒に、曹仁は中軍、曹洪・曹純を後詰として陳矯だけを城に残して夜襲をかけてきたが、周瑜の本陣はもぬけの空。東からは韓当・蒋欽、西から周泰・潘璋、南から徐盛・丁奉、北から陳武・呂蒙、東・西・北の呉軍と共に曹軍を撃退した。
59行目:
劉備が[[孫夫人]]との婚礼のため呉を訪れ、のちに孫夫人を連れて荊州に逃走したときは、陳武とともに追撃の任を孫権から任されるが、[[張昭]]に2人では孫夫人の相手は務まらないだろうといわれ、孫夫人に一喝され引き返している。
濡須口の戦いでは、曹操が40万以上の軍勢を率いて呉に攻め寄せる。孫権に挑発された
皖城攻略戦において、呂蒙・甘寧は先鋒となり、蒋欽・潘璋は後詰を務めた。
|